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川島 崇 氏

″いろいろ″あるから経営は面白い。修羅場でこそ問われる「CFOの信念と覚悟」

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※インタビュアー/バリューアップパートナー株式会社 代表取締役 大塚 寿昭
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    危機から約5年後のIPO。マザーズと海外上場、投資対効果の転換

    「一時は厳しい状況でしたが、約5年後にはマザーズに上場しています。ご苦労も多かったと思いますが、どのようなことを考え、どんなことをしていったのでしょうか。」

    私は上場準備を前提に入社しましたが、上場は手段に過ぎません。今、私がやるべきことは会社が生き残ること、企業再生なのは明確でした。企業再生は二度目のチャンスが巡ってこない、絶対に失敗ができない緊張感ある業務です。この場面では監査法人で鍛えて頂いた、多くの企業再生支援業務の経験が活きました。
    当社の状況は、倒産危機を引き金に組織は崩壊し、既存のビジネスモデルもダメに…ある意味ゼロからのスタートでした。私はこの時期は会社を復活させるため、あらゆる事業領域に携わっていきました。営業に同行し、開発にも首を突っ込み、人材の採用など所謂何でも屋です(笑)。またメインバンクとの関係性を調整しながら負債コストを下げたり、財務リストラを断行したり、減資を実行するなど財務改善も進めていきました。
    上場までの約5年間は本当にいろいろありましたが、ずっと面白くて、月曜日が来るのが待ち遠しかったです(笑)。土日に考えついたアイディアを、月曜日に実行できるからです。そんなテンションが続いていました。それにこの嵐のような時期を乗り越えたからこそ、経営者としての胆力、CEOと同じ目線を持つことができるようになったと思っています。

    「最終的にマザーズ上場を決定していらっしゃいますが、そこに至るまで、国内外の上場市場の検討があったと聞いています。その時の状況を詳しく教えてください。」

    リーマン・ショック後、東証の新規上場社数が年間19社にまで落ち込み、その後も低水準が続きました。東証は上場のハードルが極めて高いマーケットになったわけです。私は財務戦略の責任者として、東証が上場できる環境に戻ることをただ祈って待つわけにはいきません。財務戦略の延期は、成長戦略の修正に直結するからです。そのため海外資本市場への上場について検討を進めました。シンガポール、韓国、台湾など主にアジアの資本市場です。私は何度か現地に赴き、現地国の証券取引所や監査法人、投資家との面談を進めて、ある程度の目処を立てていました。

    ところが、そうこうしているうちに東証が上場推進ムードに変わったんです!当時日本のベンチャー企業がアジア市場で上場するブームが起こっており、東証は危機感を持ったのでしょう。当社は上場準備をいつでもスタートできる体制を整えていましたし、国内外の資本市場について十分に比較検討を行っていましたので、投資対効果が改善した東証マザーズへの切り替えは、迷いなくスムーズに行うことができました。

    わずか2年後に東証一部へ市場変更。しかしその舞台裏は…

    「マザーズ上場から東証一部への上場は最短に近い間隔でした。すんなりと東証一部に上場できた要因は何でしょうか。」

    実は東証一部への上場は、当社にとって「戦略なき上場」でした。油断があったのでしょう。こういう時は得てしてロクなことが起こらないわけです…。
    実際問題、一番大きな要因は主幹事証券の勧めもあり、東証が推進する「マザーズから一部鞍替えの緩和措置」に乗っかったことです。特にマザーズ上場数年以内なら、審査が簡略化され上場準備コストを抑えることができるのは魅力でしたね。
    しかし当時、当社はM&A戦略を推進しており、公募のニーズはありませんでした。実は上場審査とM&Aは相性が悪いのです。M&Aが及ぼす経営管理体制や業績の変動は上場審査に大きな影響をもたらしますし、公募でM&A資金を調達することは事実上制限されていたからです。
    結局当社はM&Aの状況次第で、いつでも上場準備を停止できるように動いていたというのが実情です。結果的に東証一部へ上場することができましたが、鞍替え時は数少ない公募のタイミングにも関わらず、当社では公募を行っていません。

    「IRを積極的に行っていましたが、具体的にはどのような活動をしていたのですか。」

    当社はまだ時価総額が小さい段階でしたので、投資家の参入を促すために、流動性を高める資本政策と日々の出来高を意識して活動していました。例えば、ほぼ毎日IRを出してABテストを実施し、仮説検証を繰り返していました。某掲示板では日報扱いされていましたが(笑)。当社は個人株主数が多かったため、このIRの取り組みには、2つの目的がありました。1つ目は新規株主獲得という攻めの目的です。2つ目は売られないための守りの目的です。つまり当社株式を購入して頂けると、株主のポートフォリオに入りますが、いずれそのポートフォリオは見直しの時期が訪れます。そこでIRを出し続けることで、株主にとって最も売りづらい銘柄、ようは「最後に売られる銘柄」になることを目指したわけです。もちろんIRの効果だけではありませんが、類似業種や同規模時価総額の他社と比べると、高い出来高をキープできていました。

    他のIR活動では、株式分割により流動性と株主管理コストの最適化を図ったこと。業績連動型行使条件付きの有償ストックオプションを短期・中期で2本同時発行し、当社が描くエクイティストーリーを投資家へ発信したこと。定期的に機関投資家向けの決算説明会や1on1、海外投資家向けのIRなども実施しました。
    そして、M&A戦略が本格化したときに、新株予約権の第三者割当による資金調達を行いました。この財務アクションに至るまでに高い出来高をキープできていたので、新株予約権の消化率について強気の交渉ができ、短期間で必要資金額を調達することができました。

    日本最大級のファッションイベントを買収。副社長としてPMIを推進

    「M&Aも積極的に行っていましたが、具体的にはどのような会社を買収したのでしょうか。また、その理由も教えてください。」

    当社は上場時まではIP(知的財産権)を小さく生んで大きく育てるビジネスモデルでした。上場後は資本市場から調達した資金で大型IPを取得し、それをさらに大きく育てるM&A戦略をもう一つの成長の柱としたわけです。
    数社の買収や資本提携を行いましたが、その中で最も大きかったのは、日本最大級のファッションイベントの買収です。イベント自体に実績と知名度がありましたが、当社はその源泉である知的財産権に注目し、まずイベントの商標権を取得しました。その後、運営会社を取得するといった2段階買収スキームを採用しています。
    その他のケースでは、私が提案した新規事業のアイディアに社長が気乗りしない場合、「川島さん、まず自分でやりなよ」と言われちゃうことがあるわけです(笑)。そこで、私が創業メンバーとして事業を立ち上げて、目途が立ったタイミングで当社が出資し、その後その子会社の上場を目指すといったパターンが何社かありました。

    「M&Aは買収後が重要ですが、川島さんはどのような立場でPMIに関わったのですか。」

    全ての出資先に取締役として関わりましたが、特に大型買収となったファッションイベント運営会社は、グループ財務戦略上IPOを前提に買収しましたので、事業に深く入り込み事業価値の向上と組織体制を整備することが私のミッションでした。そのため代表取締役副社長に就任し、子会社社長と併走して事業推進に奔走していました。例えば、商標権の海外展開のため海外大手企業の会長との交渉や、イベントや関連事業に関わる主要クライアントや重要関係者とも頻繁にコミュニケーションを取らせて頂いていました。
    この子会社は、後に東証グロース市場へ上場しましたので、当社グループに大きな投資リターンをもたらし、それなりの貢献ができたのではないかと思います。

    「自己分析すると、事業サイドでも結果を出せた成功要因は何になりますか。」

    経営は、前例やマニュアルがない中での非定型的な課題解決の繰り返しで、クリエイティブな思考力や意思決定のスピードが要求されます。時にはハードシングスに見舞われることだってあるわけです!ベンチャー経営やCFO業務をやる中で、向かい合った修羅場を何度も乗り越えることで、自然と幅広い領域での意思決定力が身に付いたのではないでしょうか(笑)?
    また特に役割として意識的に行ったのは、グループCEOと各子会社CEO達との意識統合ですね。トップ同士の意識統合なく、組織の統合は叶いませんので。ところが創業者CEOという人種は個性が強く、自己主張が激しくてプライドが高い(笑)。そしてなぜか直接対決は避けがちです。誰かが間に入って情報を整理し、彼らの意識を前向きにしてグループ価値向上へのベクトル合わせをする役割が必要となるわけです。単なる伝達係だと、各CEOの愚痴を聞いて終わりますから(笑)。実際、いまだに各CEOから個別に相談が来ますので、良い関係性を構築できていたんだと思います。

    川島 崇 氏
    1998年10月 公認会計士2次試験合格、大手監査法人入所 2002年05月 公認会計士登録(2006年 中小企業診断士登録) 2008年08月 IPプロデュース系ベンチャー企業入社 経営戦略統括本部長就任 2008年11月 同社取締役CFO就任(2014年 東証マザーズ上場、2016年 東証一部市場変更) 2015年07月 日本最大級のファッションイベント企業買収 取締役CFO就任(2016年 代表取締役副社長就任) 2015年~2018年 資本業務提携1社及び子会社7社出資・設立 各社代表取締役又は取締役就任 2018年11月 同社退任、独立 現在、投資家及び財務戦略コンサルとして複数社の成長戦略、出口戦略を支援中。 2023年には上場準備責任者として未上場ベンチャー(日本法人)を米国NASDAQ上場へと導く。