CFOインタビュー
株式会社TWOSTONE & Sons
取締役CFO 加藤 真 氏
大企業での経験こそ、ベンチャーで活きる。「企業の経営に対して意見を言える立場になる」を体現した道筋
「企業の経営に対して意見を言える立場になる」というブレない思い
「学生時代は自分のキャリアをどのように考えていましたか。」
私は学生の頃から、横軸に時間と縦軸にポジションを頭の中で描いて、今の自分がどこにいるか、将来どこにいきたいかを考える癖がありました。そして、いつまでに何を習得しなくてはいけないのかを逆算していきます。これが自己分析だと理解しています。そのため、高校時代に「企業の経営に対して意見を言える立場になりたい」と考えてからは、それを実現するために歩を進めていきました。いろいろな仕事を調べる中で経営企画という仕事を知り、そこを目標に据えました。経営に対して意見を言い、自分の意見が採用されて、会社を良い方向へ動かすような仕事である経営企画の仕事を担うために、まずは経営を学ぼうと中央大学の経営学部に入学しました。
「大学卒業からフレンテ(現:湖池屋)退職までのキャリアについてお聞かせください。」
新卒時の会社選びの観点は3つありました。1つ目は、経営に対して意見を言える人になるために、正しい知識、スタンダードなやり方を身につけられる上場企業であること。実は、上場しているベンチャー企業からも内定をもらっていたのですが、ベンチャーは将来挑戦したいと考えていたため、まずは全体の流れを理解できる上場企業を選ぶことにしました。2つ目は、全体が見える会社が良いと思っており、規模が小さい会社であることも重要視しました。3つ目は、経営企画になるためには会社の数字を理解できるようになることが必要だと思っていたので、経理職。それも原価計算のできるメーカーの経理職の募集がある会社を希望しました。
上場企業で経理のスタンダードを学ぶ
結局、安川電機の子会社のワイ・イー・データ(現:安川コントロール)という会社にご縁があって入社しました。ただ、私は人とのコミュニケーションも好きでお喋りな方なので、一般的な経理の人物イメージとは異なります。そのため、入社時に社長から「最初から経理に配属されて社内だけになるのではなく、一度社会を見てこい」と言われ、1年半ほど営業企画やマーケティングを経験してから経理に配属になりました。
その後、2年ほど経理をしていたのですが、ありがたいことに親会社の安川電機の人事部に引っ張ってもらうことになりました。プライム上場企業の人事の仕事。希望する方も多い仕事です。人事から経営企画に進むキャリアパスもあるため、食わず嫌いは良くないと思い、チャレンジをしてみました。しかし、残念ながら私には合いませんでした。「まだ経理の仕事をやりきれていない」という思いもあり、改めて経理としてのキャリアを作るために転職を決意しました。転職時の会社選びの観点は新卒時と同様で、フレンテ(現:湖池屋)にご縁があり転職しました。
「フレンテを退職した理由を教えてください。」
もともとのキャリアの考え方として、30歳までを修行期間。その後はベンチャーに転職したいと思っていました。また転職する前に、日清食品がフレンテに資本参画しました。今後、日清食品の影響力が増したら、私のキャリアにも限界がくるだろうと思いました。実際に、私が退職した後にも日清食品の増資があり、今は日清食品の連結子会社となっています。
さらに、評価の面でも限界を感じたという点もあります。在籍する中で、業務を習得する。既存の業務の効率化を行うのは当たり前だと思ってやってきました。それだけだと業務もマンネリ化しますし、何かないかなと思っていたところで日清食品から入ってきた資金を運用することを思いつきました。過去の資産運用の規程を引っ張り出し、自ら委員を選んで組織を組成し、会長に直提案しながら、資産運用を開始しました。結果として3000〜4000万円の営業外利益を生み出したのですが、評価は普段と変わらずB ' (ダッシュ)。今はそうでもないとは思いますが、当時は管理部門があまり評価されない文化があったように感じていたので、「そうだよな」という気持ちもありました。私は「もっと仕事がしたい」と思っていたのですが、「きっとここにいても報われることはないのだろう」と感じ、残る意味が見いだせなくなりました。このような理由から、退職する決意が固まりました。
フレンテを退職する際に、執行役員の方をはじめ、色々な方に引き止めのお話をいただきました。そのまま残っていたら、将来的には管理系の重職を任せてもらえるポジションにいたかもしれません。しかし、新たな道に進みたい思いが増し、退職しました。
ベンチャーで受けたカルチャーショック
「3社目でベンチャーに飛び込みます。どんなことを目的に、ベンチャーへ飛び込んだのですか。カルチャーショックはありましたか。」
カルチャーショックはすごかったです。精神的に追い詰められて、辞めようか、大企業に戻ろうかと真剣に悩みました。フレンテにいた頃は、それなりの評価をいただいていましたし、自分自身でも仕事はできる方だと思っていました。しかし、自分が力を発揮できる大前提として、周囲の方が一定以上のレベルであること、仕組みができている環境があったということがあります。仕組みに則れば、当然のように正しい情報が出てきて、それを処理すれば決算ができる。この“当たり前”に囲まれた中では、私は仕事ができていました。
しかし、ベンチャーはそうではなかった。入社してすぐ目にしたのは、3〜4ヶ月分処理されていない書類。その書類が積み重なっていて、伝票入力されたものなのか、実際に支払いが済んだものなのかすら分からないという状況。つまり、3〜4ヶ月、月次決算が締まっていないという状態でした。それを目の当たりにしたときは、なかなかしびれましたね。経理のマネージャー候補として入社したので、管理者はいるのですが、月次決算を締めないことが当たり前の環境でしたので、やり切らずに帰宅している。やらなくてはいけないことがわかっている側からすると、誰も疑問を持っていない状況がとても気持ちが悪かったです。「なぜ情報が来ない」「この状態をどうすればいいのだろう」「この組織に自分がいていいのだろうか」「この組織で自分の能力を生かせるのだろうか」「このままでは自分が腐ってくのではないか」など、3ヶ月くらい思い悩みました。
ただ、就職活動のときも2週間くらい悩み続けるなど、元々悩むのは得意というか慣れっこではありました。この時も3ヶ月くらいノイローゼになるくらいすごく悩んで、ふと気づいたことがありました。「若くして経営に意見を言えるようになるには、与えられた環境で成果を出すのではなく、混沌とした環境を正していくことにこそ価値があるのではないか」と思ったのです。つまり、大企業で培った“当たり前”をベンチャーの組織へインストールする。早く出世するためには、早く責任のあるポジションを任せてもらうためには、そういう力が絶対に必要ですし、そもそもそのために大企業に入ったはず、と初心にかえり、一気に道がひらけました。この時に、今の自分の思考のベースが出来上がったのではないかと考えています。そして、振り返ると結果として、自分のアプローチは一つの正解例だったと思っています。
整理・仕組化・分散であるべき姿に改革
「実務的な変革はご苦労が多かったのではないでしょうか。」
大変でしたね。最初は、1人で進めていくしかないので、とにかく時間を使って、あるべき形をインストールしていきました。私自身、ハードワーク自体は苦ではありません。事実、新卒で入社したワイ・イー・データでも、一定期間ハードワークをして、自分で業務を整理した経験がありましたので、今回もまずは整理からはじめました。ベンチャー企業の役員陣もその現状には不満がありましたので、私が業務を整理することで、役員が感じていた「数字が遅い」「数字が綺麗じゃない」などの不便さを解消できました。結果として会社も良くなり、私に対する評価も変わり、意見が通りやすくなっていきました。
次に仕組化です。整理することにより、会社の流れが見えてくるので、それを仕組化していきます。例えば、当時は全てをスプレッドシートで管理していたので、誰がいつ何を承認したのかがわかりませんでした。それらを明確化させるためにExcelに変更しました。そして、分散です。営業事務に協力してもらう体制を整え、自分の煩雑な作業を分散化していきました。みんなの5分は、1人の100分。携わる人数を増やすことでだいぶ楽になりました。
「整理整頓は決算のことを真に理解していないとできませんよね。」
その通りだと思います。そこは経験が無駄ではなかったと思いました。また整理整頓については、特に最初の会社で固定資産システムの導入を担当した時に鍛えられました。システム導入は、あるべき姿を理解する必要がありますが、誰もそのあるべき姿を教えてはくれません。そこで、自分でとことん考えました。この経験がベースになっていると思います。