「未来が予測できない」コンサルティングファームへ就職
「奥原様は、東京大学、大学院で工学系の学問を学ばれましたが、なぜコンサルティングファームに就職されたのですか。」
私は、自分に何か特別な才能があるとは思っていないので、周囲と同じことを続けて退職する40年後の自分が容易に想像できてしまいました。「1度しかない人生、せっかくならば想像もできない、面白そうなことをしてみたい」と思いました。
「コンサルティングファームへの就職は、親御さんも驚かれたのではないでしょうか。」
コンサルどころか、パン屋だと勘違いしていました(笑)。アンダーセンコンサルティング(現:アクセンチュア)は就職にあたって親宛に「4月から息子さんがうちの会社で働きます。よろしくお願いします」といった内容の葉書を送っていました。それを見た親は、アンデルセンのパン屋と同じロゴだと勘違いし、「なんでパン屋に行くんだ?」と電話をしてきたのです。未だに私がコンサルに就職したことをわかっていません。
「アンダーセンコンサルティングではどのような仕事をしていたのでしょうか。」
アンダーセンコンサルティングには、いろいろな部署があるのですが、私が最初に担当したのは、横浜にあるソニーの中央研究所で知財の洗い出しをして、それらを活用して何ができるかを考える仕事でした。限られた人しか配属されない部署ですが、振り返ると、この仕事が一番面白かったです。今思うと、当時、正二十面体のボール型で時計、電話、音楽を聴く機能などがついたもの があったのですが、これをうまく発展させることができていれば、iPodやiPadになっていたのではないかと思います。もし先に発売になっていたら、Appleはなかったかもしれません。
視力の低下から公認会計士の資格取得へ
「その後、難易度の高い公認会計士の資格を取得なさいましたが、なぜ取得しようと思ったのですか。また、奥原様は監査法人に勤務されていませんが、就職を考えたことはなかったのでしょうか。」
結局、アンダーセンコンサルティングを2年で退職しました。退職の理由は、目が悪くなって、仕事を継続することが難しくなってしまったからです。学生時代から、システム系の勉強をして目が悪かったところに、就職後もソニーでずっとブラウン管を見ていてさらに悪化してしまいました。いろいろな眼科を回ったのですが、明確な診断には辿り着けず、インターネットで論文検索をしてみると、「もしかしたら、かなりまずい病気なのではないか」ということに気がつきました。そこで、日本で手術ができる病院を探して診てもらったところ、「手術によって普通の近視程度の視力には戻せるけれど、現在の仕事を続けるのは難しいのではないか」と言われてしまったのです。そこで、アンダーセンコンサルティングを退職して目の手術をしました。目は神経が集合しているので、手術後は遠くは見えるけれど近くは見えないという状態が続き、半年くらいリハビリをしました。新聞を読んでも頭痛がしなくなるまで時間がかかりました。
その時期は、テレビをラジオ代わりにして音を聞いて過ごしていたのですが、たまたまネットスケープが上場したというニュースを耳にしました。その時に、初めてアメリカにはベンチャーキャピタリストという職業があって、その人たちがマーク・アンドリーセン(ネットスケープの創業者)という大学院生の起業を応援して大きくしていったことを知ったのです。そして、日本にもベンチャーキャピタリストのような仕事があればやってみたいと思うようになりました。 当時同棲していた現在の妻が税理士の仕事をしており、日本の中小企業に粉飾が多いということは知っていました。僕みたいなバックグラウンドの人間がキャピタリストの仕事をしようとしても、このままではきっと粉飾に騙されるだろうと考えました。そこで、会計や法律をまんべんなく学ぶことができる資格を取ろうと思い、公認会計士を目指し、2年間勉強して合格したのです。ですから、最初から監査法人に入る気はありませんでした。ただ、私が受験した2年間は合格者数が過去最低だったらしく、少ない合格者の座席の一つを奪ったことは悪かったなと思っています。
念願のベンチャーキャピタリストに
「そして、日本ベンチャーキャピタル(NVCC)に入社します。大きくキャリアチェンジすることになりますが、その選択をした理由をお聞かせください。」
NVCCが、独立系のベンチャーキャピタル(以下、VC)だったからです。独立系のVCを3社回ったのですが、うち2社は経験者のみの採用でした。まだできたばかりだった当社は未経験者でも採用してくれたのです。当時としては珍しいと思いますが、メールに「私はこんなに優秀なので、採用しないと損をしますよ」といった内容の文章を記し、自己PRやレジュメを添付して送りました。その後、連絡があり、総務の面接、役員面接、社長面接とあっという間に進み、1998年の1月4日、正月明けから転職しました。
その頃、大手の金融機関は子会社としてVCを持っていました。しかし、連結会計がない時代でしたので、そのほとんどが親会社の不良債権を飛ばす対象となってしまっていたのです。そういった場所では、まともな投資は行っていないだろうと考え、最初から独立系のVCだけを狙って転職活動をしました。

日本ベンチャーキャピタルの特徴
「NVCCはVC業界の中でもユニークな組織です。NVCCの成り立ちや特色を教えてください。」
NVCCは、自らベンチャー企業を興し、各分野で成功をおさめている事業家や、ベンチャー支援に熱意を持つ大手企業などが結集し、これまでとは異なる支援型の本格的なVCをめざして、1996年に設立されました。
当時、経済同友会でVCを作ろうという動きがあり、ウシオ電機の牛尾治朗さん、セコムの飯田亮さん、オリックスの宮内義彦さん、日本生命の伊藤助成さん、そして会長を務めたコスモ証券の文箭安雄が発起人として創業しました。それに参画、賛同していただける方を徐々に増やしながら現在に至ります。
金融知識がないことをプラスに、手探りで業務スタート
「投資をする分野や方針は決まっていたのでしょうか。」
全く決まっていませんでした。私が入社したのは創業2年目で、当時、日本に独立系のVCがほとんどなかったので、社内だけでなく、日本中に業務を教えられる人がいませんでした。
「この業界は本当に歴史がないから、自分で考えて進めていかなくてはいけない。幸い私は金融機関に勤めていた経験がなく知識もないので、彼らがハードルに感じることに対して私はハードルに感じない。これは逆にプラスになるはずだ」とポジティブに考えました。
まだ、ウェブサイトが充実している時代ではなかったので、最初はアメリカのVCの教科書を読み漁って真似をすることからスタートしました。
「具体的にどんな仕事をしていたのですか。」
本当に手探りでひたすら投資をしてきました。アメリカのセオリーどおりにやってみて、うまくいかなければ次は取り入れないし、良かったら日本流にアレンジするというやり方で進めました。弊社にも過去含めて50名以上のキャピタリストが在籍し、累計で1100社以上投資致しましたが、キャピタリストとして1件目の投資が上場したのは私だけです。それくらい運には恵まれてきました。
「入社して10年ほどで取締投資部長に就任されています。」
2008年に取締役投資部長になりました。この頃は採用を増やしすぎていて、能力が不足している人もかなりいたように思います。さらに、就任した直後にリーマン・ショック。創業者の文箭(安雄)とこの会社をどうすべきかについて、何度も話し合いました。ただ、そんな中でも、投資は継続していました。