バイアウト・ファンドや投資先社長との付き合い方
「バイアウト・ファンドとの付き合い方は大切ですが、特に注意する点があれば教えてください。」
バイアウト・ファンドは、資本の論理で動いているので、何か上手くいかなかった時、感情に訴えるように「許してください」といっても通用しません。当然ですが、企業価値の向上、株価上昇、イグジット実現などを通じて、数字をあげるということは求められますし、その前提として、論理構成を考えてロジカルに説明することは大切だと思います。また、スケジュール、To Doなどの約束を必ず守ることも重要ですね。
「投資先の社長との関係性はどうあるべきでしょうか。」
マツオカコーポレーションでの私の肩書はCFOではなく、取締役副社長CSO(Chief Strategic Officer)でした。CFOは別の方がいて、私は経営戦略を立てたり、M&AやIRをしたり、上場後は完全に攻めの担当でした。その中では、社長の会話を拾って繋げて、社長の脳の中を具体的にデザインすることを心がけていました。社長の考えていることを実現することが、会社にとって最も利益が上がると考えていたからです。
一方で、CFOの立場は、社長を牽制する役割(暴走しないようにする)として、アクセルとブレーキの関係が理想的だと思います。例えばM&Aであれば、「この点は大きなリスクなので、ヘッジしておかないといけませんよ」という話をしてブレーキを踏める立場であると思います。しかし、実際にはマツオカコーポレーションの社長はワントップで、なかなか並列な関係になるのは難しかったです。自分は代表取締役副社長という立場である一方、社長とは強い主従関係だったので、常時その役割には悩んでいましたね。今でも松岡社長と会う機会はあるので、当時の悩み事への答え合わせは、やっていきたいと思っています。
「マツオカコーポレーションをお辞めになった後、次も精神的にきついバイアウト・ファンドの投資先を選択しています。その背景を教えてください。」
動物病院であるWOLVES HANDを選んだのは、アーリーステージからの参画によるIPOを実現してみたかったこと、社長がかなり難しい人と聞いていたので、その方がやりがいがあると思ったからです。私以外の取締役は全て獣医だったので、その中で自分の専門性を発揮しやすいと思いましたし、社長との共同代表の話も頂いていたので、プロ経営者として経営全般に関与したいという思いからの選択でした。バイアウト・ファンドが精神的にきついという発想はなかったですね。
「そのような中、翌年に退任された理由はどんなことだったのですか。」
実際に入社してみると、個人病院から会社への移行期だったので、IPOまではまだまだ遠い道のりでした。年数をかければ、IPOまでたどり着ける可能性はありましたが、家族と離れた単身赴任の状況であったので、当初の想定よりも長い期間で単身赴任も続けられず、21年9月の任期満了をもって退任させて頂きました。

ジョイントベンチャーと戦略と苦労
「その後、現職(株式会社トランザクション・メディア・ネットワークス(略称:TMN))に転職します。実は現職もジョイントベンチャーなので株主対応などの苦労もあるかと思いますが、なぜCFOを引き受けたのですか。」
21年11月からTMNに参画しますが、入社前は「間もなく上場」と聞いていたことから、どちらかというと上場準備よりは、上場後の経営に携わりたい思いで参画しました。マツオカコーポレーションで上場後の経営が2年強だったので、もう少し上場後の経営経験を積みたいと考えていたのです。ジョイントベンチャーゆえ、確かに多様な株主がいましたが、ベンチャーキャピタルや投資ファンドなどはおらず事業会社株主のみであったことから、就任にあたってその点はほとんど気になりませんでした。
「短期間で見事に上場を達成します。上場までの道のりで大変だったことは何ですか。」
実際に入社してみると、「間もなく上場」という状態ではなかったですし、IPOに慣れている人が社内におらず、証券会社の指摘の本質を社内で理解できていないということがわかりました。「証券会社が言っているので、やり方を変えてください」では、社内に改革は浸透しません。証券会社は当たり前のように専門用語を使いますが、指摘を受け取る側からしたら聞いたことない単語や概念なので、なかなか腹落ちしません。ですから、「証券会社が言っていることは、こういう背景があり、こういうリスクがあるから、こう変更しなくてはいけないということですよ。」と社内に翻訳して伝え、納得感を醸成した上で、変えていく必要がありました。また、証券会社側も教科書通りの指摘をしてくる中で、「確かにその通りだけど、うちにはこういう特殊性があるから、こういうやり方で対応させてもらっています。」とロジカルに説明すれば、本質が変わらない限り、教科書に載ってないやり方でも認めてもらえます。こういったことはマツオカコーポレーションでもやってきた最も得意な仕事でした。
そんな中、会計、労務、人事の問題は私が対応できましたが、事業計画作成部署は私の管掌部署でなかったので、一元統制ができませんでした。そのため、こういう事業計画を作って、こういう説明をすれば、審査はパスできるというストーリーを自分で作ることができず、審査上、事業計画が難航した点は苦労しました。
加えて、もともと主幹事はSMBC日興証券でしたが、相場操縦問題が社会問題化したため、主幹事証券が野村證券に変更になりました。日興との審査はある程度完了していた中で、また一から野村の審査が始まったので、大変でした。
ただ、私が参画する前から、IPOチームは組成されていたので、回答作成や資料作成などパワーが必要な局面は若手が担ってくれたことはありがたかったです。IPO経験はなくても、狙いや意図を説明をすれば理解して動いてくれる優秀なメンバーでしたので、横道にそれないように、またIPOがリスケしないようにだけ注意し、全体監督をしていました。終わってみれば、野村證券は私にとっては知り合いだらけなので、仕事は進めやすかったです。ほかには、社長自身が珍しく株主でなかったので、社長自身のキャピタルゲイン獲得の論点がなく、ダウンラウンドであっても上場の意思決定をしてくれたことがスムーズに進められた要因だと思います。社長が大株主で、自分のお金の入りを計算する方だったら難航したと思います。
「ジョイントベンチャーでの苦労や特徴を教えてください。」
当初は三菱商事とトヨタグループのジョイントベンチャーで設立された会社でしたが、私が参画したタイミングでは11社の株主がおり、ジョイントベンチャー企業としての色合いは薄れていました。筆頭株主は三菱商事だったので、その関係が一番難しかったのですが、同社からの出向者がそのパイプ役になってくれていたので、私自身が直接苦労したことは少なかったです。ただ、一番保守的な株主にあわせざるを得ないという配慮はありました。例えば、手続きについては、一番稟議に時間がかかる会社にあわせて、全体をスケジューリングする必要がありました。また、全株主から同意が必要な場合には、1社でも否定されるとスキーム自体が崩壊することから、根回しや事前説明を念入りに行いました。例えば、IPOにあたっての売り出す株式数についても、事前に根回しをして、一律で「持っている株式の半分を売り出してください」とお願いしました。
一口でジョイントベンチャーといっても多様かと思いますが。当社は三菱商事だけだと、赤字が続けば「即撤退」となる可能性があるので、あえてトヨタグループを入れて、「トヨタもいるから簡単に撤退できない」という効果を狙ったそうです。実際に、しばらく赤字でしたが、撤退することなく、そうこうしているうちに黒字化しました。社長の戦略が奏功したといえるでしょう。
さらに、特徴的なことは、三井住友カード、UCカード、JCBカードなど、普段はライバルである企業に同じ割合で入ってもらい、あえてオールジャパンのような体制をとったことです。株主間で牽制が効くので、細かなビジネスについて口出しされることは少ないと思います。