証券会社で学んだIPOのいろは
「その後、監査法人都合で退所して野村証券の引受審査部に転職されていますが、その目的を教えてください。」
とある日の日経新聞の1面に、「中央青山監査法人解散」という記事が出てたのを見て、すぐに転職活動を開始しました。中央青山監査法人からは、他の監査法人への転職は斡旋すると説明がありましたが、3年近く監査から離れていたし、どこの組織でもビジネスパーソンとしてやっていけるという自信が持てたこともあり、その選択肢は考えませんでした。就職先は、1社目に応募した野村證券から内定をもらったので、特に悩むことなく決めました。中央青山監査法人から野村證券引受審査部に出向していた先輩がいて、「会計士ならば重宝してもらえて活躍できるよ」と聞いていたからです。面接の中で、引受審査部は、IPOの仕事がメインと聞いたのですが、実はその頃IPOについてはド素人で、仕事の具体的イメージはもっていませんでした。(笑)
「引受審査部の仕事内容を教えてください。」
日本は、発行会社がファイナンスをする時、一旦、証券会社がすべての株式を引き受け、それを個人投資家や機関投資家に売るというスキームになっています。つまり、証券会社は一時的に株という在庫を保有することになります。ですから、その在庫に対してリスクがないかを引受審査部がチェックする必要があります。引受審査部の仕事の7割が非上場企業のIPOの審査業務、3割が上場企業のPOや社債の審査業務という感じでした。IPO準備会社は、未成熟な企業が多いため、内部管理体制の整備など、上場するために改善すべき点を洗い出して、それを改善してもらうことで上場に導くという大変やりがいのある仕事でした。
具体的にどんなことをしていたかもご説明しましょう。
上場を目指している会社(発行会社)の財務書類や会議資料を読み解き、問題点を探していきます。そして、発行会社に書面で膨大な質問をして、回答してもらう。そこでも解決しない疑問点などは2〜3日かけて打ち合わせをしてコミュニケーションをとり、最終的に主幹事証券として、株式を引き受けてOKか否かの判断をするのです。
資料は、財務諸表5期分、税務申告書5期分、会社の全規程、Ⅰの部やⅡの部等の申請書類、組織図、取締役会や監査役会の議事録、監査役調書、内部監査調書など多岐に渡り、平均すると段ボール4箱ほどありました。ホールディングスカンパニーになると、10箱以上になるケースもありました。現在は、電子データでの提出となっていますが。
経験を積んでいくと、「この会社は上場できそう」「この会社は難しそう」ということが、早い段階で分かるようになっていきました。ビジネスモデルと数字と人。社長や経営者がどんな人か。資料を見ると、こうした会社のレベルが分かるのです。この経験が、のちに自分が転職活動をする際の会社を見極める力につながったと思っています。この野村證券の引受審査部での5年間は仕事量がとても多くて、上司からの詰めも厳しかったので、早い時は6時に出社し、遅い時は終電で帰宅する日々で、1分たりとも無駄にできないような緊張感を持ちながら、仕事をしていました。
「当時の印象に残っているエピソードはありますか。」
多忙だったので、周りのみんなもストレスが溜まっているようで、逆によく遊んでいましたね。同僚間で上司の悪口を言って盛り上がる的な・・・(笑)審査部4年目の時には、部のレクレーション係に任命されたので、部内でのバーベキュー大会やボーリング大会、マラソン大会、麻雀大会などを企画したり、仲間内だけでは、朝までカラオケや桃鉄大会(テレビゲーム)、ワインの会などもあったし、そのほかにお好み焼きの会を毎月給料日に企画して社内報にとりあげられたりしてました。今でもその時の仲間で時々集まりますし、貴重な友人たちですね。
「野村證券での経験はその後のキャリアにどのように影響していますか。」
私は、いろいろな会社に転職していますが、自分のキャリアの軸は野村での5年間だと思っています。IPOという特殊かつ専門性が求められる経験を積めたこと。特に野村證券は大きな案件や面白い案件が集まりますし、優秀な人材も多かったので、振り返ると、大変刺激的な日々でした。
1年目はIPOについて全く分かっていなかったので、会計という切り口からIPOを理解しようとしました。経験を積んでいく中でIPOへの理解が進み、在籍最終年度の評価では、1番高い評価を頂いたことで、「IPOについては一通りマスターした」という自信を強く持つことができました。後半は、難しい案件や海外案件にも携わりました。私は、英語を流暢に話すことはできませんが、英会話やTOEICなどで英語の勉強は継続していたので、スピード感もって、英語の資料は読むことはできたのです。そういった点から評価して頂けたと聞いています。

官民ファンドで知ったハンズオンの魅力
「野村證券に5年間勤めた後、事業会社ではなく日本一大きな官民ファンド産業革新機構(現:株式会社INCJ)に転職します。その目的を教えてください。」
IPOについて一通り理解が進んだので、次のステップを模索するタイミングに来ていました。
選択肢としては、①引受審査部で上位職を目指す、②野村証券の他部署でキャリアを積む、③他社でキャリアを積む、の3つから検討してました。
①については、大企業の昇進の順番待ちが、自分の時間軸とは合わず、有力な選択肢ではありませんでした。②も、異動の実現に時間がかかることや、自分の思いだけでは異動できないことから、様子を見ている状態でした。そして③については、面白そうな会社があればと、常にアンテナは張っていたものの、転職にはエネルギーも必要なので、特に動いているわけではありませんでした。
そんな時、当時の審査部長との人事面談で「私が他部署に異動するとなれば、どういう部署ですかね?」と質問をした際、「会計士の君がいくようなところは思いつかん。」とバッサリ断言されたので、自分に市場価値があることを見返すつもりで、就職活動を始めました。3か月後に転職先が決まり、部長に退職を伝えたら、他部署の紹介をいただきましたが、時すでに遅し、でしたね。
官民ファンドの産業革新機構(略称:INCJ)は、「一時的な組織であること」「2兆円の投資能力を有していること」「民間ではできないリスクテイクをすること」というコンセプトがとても面白そうだと思い、志望しました。財務省での経験から、官が果たす役割について考えるようになっていたり、時には採算を抜きにしないと、社会に役立つ研究開発が成就しないケースもわかっていたので、コンセプトや理念が素晴らしいと思ったのです。また、野村証券在籍時に、IPO前の企業の株主として投資ファンドが登場する案件も担当していました。投資ファンドの投資後、経営陣をガラリと変えて、短期間でビジネスをチェンジし、P/Lを改善していく。その方法に興味があったので、自分も飛び込んでみたいと転職を決意しました。
当初は、INCJの投資チームに応募しました。そこでは採用されなかったのですが、INCJの人事部長が、「会計士だから、投資チームではなくて、ポートフォリオ管理室がいいのでは?」と提案してくださったようで、会計士のみで構成されているポートフォリオ管理室での採用となりました。
「ポートフォリオ管理室では具体的にどのような仕事をされていたのですか。」
ポートフォリオ管理室は、投資先モニタリングがその役割であり、ミドルオフィスの位置づけでした。毎月の実績数値が予算通りになっているか、想定外の多額な赤字が出ていないか、投資先の株主総会や取締役会にておかしな決議をしていないか、といった内容です。議決権については、投資チームが持っているのですが、ポートフォリオ管理室が確認した上で会社として議決権の行使を認めるということになっていました。大体20社くらいの投資先を広く浅く見ている状況でしたね。
「複数の投資先のバリューアップにハンズオンで関わりますが、戸惑いや、苦労はありましたか。」
ハンズオンで関わることがメインではありませんでしたが、いくつかの案件で取締役会メンバー、経営会議メンバーなどとしてハンズオンとしても関与するようになりました。これまでのキャリアでは、数字や資料を通じてビジネスを見てきましたが、ハンズオンで関わる中で、現場の人の話や感情といった生々しい部分に向き合うことになり、また違う面白さを発見しました。特に、自分には会計士としての資格やIPOの知見があったことからか、投資先の社長や幹部クラスの方から、アドバイスを求められたり、頼りにしていただくこともあり、これまでのキャリアではなかったやりがいを覚えました。
この3年間は、ほとんど苦労はなく、とても楽しい毎日でしたが、時限立法によって設立した組織でしたので、入った時から「いつかは出ていかなければならない」ということは常に意識していました。充実していただけに、長く留まりすぎて、他のところで仕事ができなくなるのは怖いという思いがありました。今振り替えると、ちょっと生き急いでいて、焦り過ぎだったような気がしますが・・・。
また、技術系の会社(医学、薬学、化学等)の事業内容が文系の自分には理解が難しいこと、たとえノーベル賞並みの研究がうまくいってもそれがビジネスにつながるとは限らないこと、資金繰りの厳しい会社だとバーンレートなどを意識しながら日々の金勘定をしないといけないこと、などに対する戸惑いはありました。
総じては、INCJはものすごく優秀な人材の集まりで、自分がよく入社できたなと思っていますし、この会社での人脈は自分のとんでもない宝物になっています。