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それからのCFO
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石橋 善一郎 氏

【前編】FP&Aプロフェッショナルが目指したCFOへのキャリア。そして、その先に見えた自身の役割とは

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※インタビュアー/バリューアップパートナー株式会社 代表取締役 大塚寿昭
INDEX

    本社でCFOになれる機会を求めて

    「その後、なぜインテルを退職する道を選んだのでしょうか。」

    米国本社で2年半ほど働き、2002年に日本法人に戻りました。日本法人でFP&Aだけでなく、経理と財務まで担当することになったので、そこで正式にCFOを名乗るようになりました。当時はインターネットバブルがはじけた後にIT業界が回復し始めた時期で、インテルにとっては追い風が吹いていました。米国本社で私が事業部コントローラーをしていた研究開発部隊が開発したマイクロプロセッサが入ったノートブックパソコンが、グローバル市場で爆発的に売れました。日本法人の売り上げが3年間、毎年30%ずつ上がり、CFOとしては業績が良くて幸せな時期でした。ただ、同時にグローバル化がより加速した時期でもありました。グローバル化すればするほど、日本で行える仕事は小さくなります。

    アジア本社を日本でなく、シンガポールや香港などに置くような流れも生まれていました。こうした流れが加速すれば、CFOとして日本法人の中の機能をアジアに切り出すような社内アウトソースといった仕事が増えていくことが予測できました。このタイミングで、自分が求めるCFOのキャリアを実現できる場所はどこにあるのだろうかと考えました。2004年当時、外資系日本法人のCFO経験者が業績の良い日本の上場企業の本社CFOになる選択肢はありませんでした。ただ、ちょうどその頃から、米国のPE(Private Equity)ファンドが日本に上陸し始めていました。PEファンドは業績不振の企業を安く買って非公開化し、再生して企業価値を上げて、再上場させることによって、キャピタルゲインを得ます。米国PEファンドのリップルウッドが投資していたD&Mホールディングス(以下、D&M)で外国人CEOのビジネスパートナーができるCFOを探していたのです。

    私にとって、日本企業の本社でCFOになるには、他に選択肢はありませんでした。しかし、決して悪い選択肢ではありませんでした。FP&Aが中心にあるCFOの役割を実行するには、CEOのパートナーとして赤字企業を再生するのが、1番働きやすいのです。株主も取締役会もCEOも全員がSOSを出している状況で入社したので、私としてはCFOとして全力を出し切れる環境でした。また、リップルウッドはグローバルに活動するPEファンドなので、CEOのビジネスパートナーとしてのCFOの役割を理解していました。CFOに対して、「経営管理をしっかりやって企業価値を上げてほしい」という期待が明確にありました。 当時、リップルウッドは、メディアなどでハゲタカと呼ばれていました。私にとっては日本企業におけるFP&Aを真ん中に置くCFOとしてのキャリアを与えてくれた恩人です。

    「D&Mの再生を成功することができた要因はなんでしょうか。」

    D&Mに入社した日に、財務部長が開口一番に「実は3ヶ月前から財務制限条項にヒットしています」と報告してきました。
    財務制限条項は銀行との借り入れ契約の条項です。財務制限条項に抵触すると、契約上、銀行は融資の一括返済を実施できます。
    つまり、最初から赤字で資金繰りにリスクがある状況でした。まず、赤字を黒字に転換し、将来への成長の基盤を作ることに取り組みました。これは本社CFOの仕事の醍醐味でもあるといえます。まず、CEOと取締役会に「グローバル企業に求められるCFO組織を作らせてください」という話をしました。D&Mという会社は、アンプやスピーカーを作っている音響メーカーですが、デノン、マランツ、マッキントッシュといったブランドのコングロマリットでした。ブランド別の事業部制組織を経営管理するにはコントローラー制度の導入が必要だったのです。

    しかし、急激に変化を起こせば、ブランド別の子会社の経営陣から、「きちんと業務を継続してきたのに、いきなり何をするの?」と抵抗感を持たれてしまいます。そこで、最初の半年間で関係性を作り、「これはみんなで成功するためには必要なことで、あなたたちに非があるわけではない」という意図を理解してもらいました。子会社の事業企画担当者を事業部コントローラーに代え、マトリックスで本社CFOにレポートするように変えました。また並行して、大赤字のリオ(Rio)というMP3プレーヤーの事業に取り組みました。リオ社はMP3プレーヤーをアメリカで最初に作った会社ですが、AppleのiPodとの競争に負けて倒産しました。そして、それをリップルウッドが破産裁判所で買ってきたのです。

    本社FP&A組織のマネージャーを米国シリコンバレーにあったリオ社に駐在させて、毎週、電話会議をして事業管理を行いました。
    半年間で事業清算に持ち込みました。できることなら売りたかったですが、買う企業はありませんでした。そこで、リップルウッドと取締役会に「このまま続けていると、また財務制限条項に抵触して潰れます」と話して、リオ事業からの撤退の許可を得ました。
    しかし、撤退しただけでは、垂れ流している赤字が止まっただけです。そこで、相模大野に持っていた工場を売り、銀行借り入れを一括返済しました。D&Mは黒字体質にかわり、利益を成長させ、2年後に東証一部市場に上場しました。

    石橋 善一郎 氏
    1982年富士通入社。 1990年コーポレイト・ディレクション入社。 1991年インテル日本法人FP&Aマネジャー。 1994年インテル日本法人経理マネジャー。 1997年インテル日本法人コントローラー(FP&A・FP&A統括)。 2000年インテル製品事業部コントローラー。 2002年インテル日本法人CFO(FP&A・経理・財務統括)。 2005年ディーアンドエムホールディングスCFO。 2007年から2016年まで日本トイザらス代表取締役副社長兼CFO。 現在、米国管理会計士協会(IMA) 日本支部 Presidentおよび日本CFO協会 FP&Aプログラム運営委員会 委員長。 LEC会計大学院 特任教授および千葉商科大学会計大学院・中央大学大学院戦略経営研究科・東京医科歯科大学 客員教授。 株式会社常陽銀行 社外取締役(監査等委員)。