FP&AプロフェッショナルとしてCFOを目指す
現在は、「CFOのその後のキャリア」として、職業人団体や会計大学院・経営大学院でCFOを目指すプロフェッショナルへの啓蒙および教育活動をなさっている石橋さん。現在に至るまでのご経歴を時系列で伺います。
「大学卒業後、富士通に入社していますが、いつ頃からCFOという職業を意識したのですか。」
私は、1982年に富士通に入社して、経理部でも財務部でもなく、海外子会社の事業を管理する海外事業管理部に配属されました。1980年代の日本において、CFOという概念はほとんどありませんでしたので、国内勤務の3年間は、経理や財務のスキルを使って事業管理を行う経営管理業務が自身の仕事だと認識していました。4年目にシリコンバレーにある富士通アメリカへ駐在となります。ここでも、電算機、通信機、半導体などの製品事業部レベルの富士通アメリカの子会社(富士通の孫会社)の事業管理をしていました。この時に初めて、CFOという職業に出会います。各子会社に米国人のCEOとCFOがセットで配置されていました。彼らと仕事をする中で、CFOの仕事とは、経理や財務だけでなく、むしろ最もメインの業務である事業管理や経営管理を行うFP&Aという仕事であるということを知りました。当時はCFOになりたいという思いは抱いていませんでしたが、振り返ると、ここで出会ったCFOの方々が後の私のロールモデルの1つとなりました。
「FP&Aについて、簡単にご説明をお願いします。」
FP&Aの定義は誰に伝えるかが大事なので、日本企業の子会社で事業管理をしていた20代の私自身に向けた説明をします。
FP&Aとは、本社レベルではなく事業部レベル(工場や営業所や研究所や子会社や海外子会社をイメージしてください)で、事業戦略の形成・実行の当事者としてビジネスパートナーになり、中長期的に事業価値を成長させることです。そして、そのためには、事業と事業戦略を理解すること、事業部のことを理解すること、事業部の人々と仕事上の関係を構築することの3点が大切です。
FP&Aを構成する主要な要素は、FP&Aプロセス、FP&A組織、FP&AプロフェッショナルおよびFP&Aテクノロジーの4つです。
もっと詳しく知りたい方は、拙著『CFOとFP&A』と『FP&A入門』(いずれも中央経済社)を参考にしてください。グローバル企業においてFP&A組織は、CFO組織の真ん中に存在します。
日本でのキャリアに夢を描けずMBA取得へ
・その後、スタンフォード大学に留学された理由を教えてください。
富士通アメリカで3年働いた後、自分が日本本社に戻るイメージが持てませんでした。正直なところ、日本企業におけるサラリーマンの働き方やキャリアにあまり夢がないなと思ったのです。そこでMBAを取得しようと決意しました。当時はMBA取得後に何をするかのイメージはなく、CFOに就くことも意識していませんでした。ただ、MBAが何かになるためのステップになるのではないかと思ったのです。そして、どうせ学ぶのであれば、最高のビジネススクールがよいと考え、スタンフォード大学のビジネススクールに入学しました。MBA課程では、1年目は、戦略論やマーケティング、統計学、ファイナンスなど経営学全般を学びました。2年目の選択科目は管理会計や企業財務関連の科目を中心に履修しました。MBAで学んだことは、FP&Aプロフェッショナルとして真のビジネスパートナーとなることの基盤になりました。現在、会計大学院・経営大学院で教えていることも、ここで学んだことの延長線にあります。
「目指すべきはCFO」と気づいた経営コンサルタントとしての経験
「その後、経営コンサルタントになっていますね。」
MBA取得後は戦略コンサルティング会社で経営コンサルタントとして働くことにしました。ただ、1年ほど働いて、自分のやりたいことではないと気がつき、退職しました。経営コンサルタントは組織の外から経営者をサポートする仕事。私は企業の中で直接、経営に関わりたかったのです。キャリア選択の際に私が大切にしてきたことは3つあります。
1つ目は、「自分はその仕事が好きか、嫌いか」ということです。私は、スタンフォード大学経営大学院での学びと会計や財務の知識を活かした業務に携わりたいと考えていましたが、公認会計士のように監査法人で働きたいわけではなく、企業内で事業に関わりたいと思っていました。
2つ目が、「その仕事は自分に向いているか、いないか」ということです。私は数字を扱って客観的に説明することが得意なので、それに関わる仕事がしたいと考えていました。
3つ目は、「その仕事からの経験と自己学習を積み重ねることによって、長期間においてプロフェッショナルとして成長を継続することができるか」ということです。経営コンサルタントの仕事に携わる中で、「グローバル企業においてCFOはCEOのビジネスパートナーとしてFP&Aの仕事をしていた。もしかしたら、CFOという仕事こそが、私が好きで、得意で、将来の自分にリターンがある仕事かもしれない」と思うようになったのです。
インテルへ入社し、真のCFO組織に出会う
CFOを目指すならば、どこの企業がいいのかを考えました。当時は日本企業にCFOという役職が存在しませんでしたので、外資系企業で働くしかないと思いました。そこで、当時シリコンバレーで人気があった、Intel、Microsoft、Apple、Sun MicrosystemsなどのIT企業の日本法人数社に、「私は将来CFOになりたいです。ただ、まだマネージャーにもなったことがありません。CFO組織のマネージャーとして入社させてください」とレジュメを書いて送りました。その中から、インテル日本法人のカナダ人の社長が、「1回お会いしましょう」と返事をしてくださり、東京本社で面接をすることになったのです。 当時、インテルの日本法人には、20名ほどのCFO組織があり、経理、財務、FP&Aの3つのセクションがありました。すでにマネージャーがいらしたので、新設のセクションを作ってもらい、マネージャーとして入社しました。その後、FP&Aセクションのマネージャーが退職されたので、FP&Aセクションのマネージャーになりました。
「その頃のCFOのロールモデルはいたのでしょうか。」
インテルには、米国本社に本社CFO、その下に米国、欧州、日本およびアジアの4つの地域にも4人の地域CFOがいました。
日本法人のCFOは本社CFOの直属の部下でした。インテルのCFO組織は風通しが良く、全世界のCFO組織のメンバー全員がチームになっていました。つまり、インテル日本法人に入社した瞬間に、グローバル企業のCFO組織が見えるようになったのです。
私にとっては、CFOになるための役割を学ぶことができる多くのロールモデルの方々と出会うことができる組織でした。
さらに、経理組織、財務組織とFP&A組織の関係性もよく分かりました。
言い換えるならば、FP&Aプロフェッショナルは、CFOになるための一丁目一番地にあるということが見えてきたのです。私には、ずっとFP&A組織のリーダーでいたいという思いがありました。本質的には、FP&Aは経営管理であり、CEOが担うべきものです。経営者として最終的にはCEOに就きたいと思っていましたが、そのステップとして、CEOのビジネスパートナーのCFOとして経営に関与したいと思うようになったのです。インテルに入社して、CFOを目指すFP&Aプロフェッショナルとしてのキャリアへの思いを再認識しました。