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グリー株式会社/取締役CFO 大矢 俊樹 氏

多様な企業のCFOを経験して見えた地平 その魅力や求められるCEOとの関係性とは?

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グリー株式会社
取締役CFO 大矢 俊樹 氏
1992年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)に入社。
1999年11月、ソフトバンク・インベストメント株式会社(現:SBIホールディングス株式会社)に入社。
2003年2月、ヤフー株式会社に入社し、2005年6月より株式会社クレオ取締役、2006年4月より同社取締役最高財務責任者、2011年4月より同社代表取締役社長。
2012年4月、ヤフー株式会社最高財務責任者 執行役員に就任。
2015年6月、同社 副社長執行役員最高財務責任者に就任し、2018年3月に退任、2018年9月まで同社シニアアドバイザー。
2018年9月、グリー株式会社取締役に就任し、2019年10月より最高財務責任者。
※インタビュアー/バリューアップパートナー株式会社 代表取締役 大塚 寿昭
INDEX

    ソフトバンクの勢いに衝撃を受けSBIへ転職

    「大学3年生で公認会計士に合格していますが、いつ頃から会計士を目指していたのでしょうか。また、その理由を教えてください。」

    大学1年生の途中から会計士を目指すようになりました。「手に職を付けておきたい」と考えていたところ、在学していた慶應義塾大学では会計士を目指す人が多かったので自然な流れで選びました。

    「卒業後、大手監査法人のトーマツに入所されています。どのようなことを担当されましたか。」

    主に会計監査を担当しました。この時期に、メーカーや小売、卸売、商社、銀行、保険会社などさまざまな業種・業態を見ることができました。会計監査に加えて、IPO支援やコンサルティング、バリュエーション、M&Aの調査などを幅広く担当させていただきました。

    「7年間トーマツに在籍し転職していますが、そのきっかけは何だったのですか。また、そのまま残ってパートナーになる道は考えなかったのですか。」

    もともと監査法人にずっといることは考えておらず、ある程度の経験を積んだら違う道に進みたいと思っていました。
    例えば、税理事務所を開業することや事業会社への転職などさまざまな道を検討していました。1999〜2000年当時は、インターネットが盛り上がっており、マザーズやナスダック・ジャパンが創設された時代です。特にソフトバンクの勢いがすごく、孫(正義)さんがナスダック・ジャパンを作った時に、「証券市場を作ることなんてできるのか!」と衝撃を受けました。それが決め手となって、ソフトバンクの関連会社であったソフトバンク・インベストメント(現:SBIホールディングス)に転職することにしたのです。

    キャリアの基礎となったSBI

    「監査法人と異質の世界に転職して戸惑いはありませんでしたか。」

    ありました。監査法人はクライアントからは先生のような扱いを受けます。また、社内においてもプロジェクト単位で仕事をするため、直接的な上司がおらず、みんなが資格を持っているので、新人でもリスペクトされるような文化でした。
    一方で、SBIは、北尾(吉孝)さんの会社なので、野村證券出身の方が多く、野村證券の雰囲気が多少なりともあると感じました。野村證券は「投資先を見つけてくるまで帰ってくるな」と言われるというイメージがありますよね(笑)。監査法人とは社風が全く違うので、戸惑いはありましたし、慣れるまで大変でした。

    「この転職の判断はキャリアを大きく決定づける分岐点だったようにも思います。その当時の自分の決断をどう思われますか。」

    良かったと思います。投資やインターネットによる市場の盛り上がり、そのダイナミズムを経験することができたのは私のキャリアに大きな影響を与えました。1つのベンチャーファンドに1500億円ほど集まるような時代で、その投資先を支援することによる学びも大きなものでした。

    「SBIでは、大きな投資ファンドの組成・運営、投資先のCFOなどの実績を重ねられています。具体的にどのような経験をされたのか教えてください。」

    SBIには3年半しかいませんでしたが、前半は1500億円のファンドを組成する責任者として、企画を作ったり、投資家のデューデリジェンスを受けたりしました。その後、実際に投資をして、管理体制を作っていきました。
    後半は、バイアウトのファンドを組成して、その投資先の名古屋のサワコー・コーポレーションという建設会社にCFO的なポジションで携わりました。この会社は、ナスダックに上場していたのですが、残念ながら会社を清算したので、SBIがスポンサーとして入り、バイアウトファンドで出資をして再建をすることになったのです。当時、私は32歳で、CFOの仕事に憧れがありましたので、手を挙げてやらせてもらうことになりました。ただ、懸命に努力はしていましたが、振り返ると、経験不足でたいしたことはできていなかったように思います。

    ヤフーへの転職と買収先でのCFO経験

    「その後、どういった経緯でヤフーに転職したのでしょうか。」

    1年ほどで部署が異動になったため、サワコー・コーポレーションでの役割も終えました。
    次に、経営企画の仕事をすることになったのですが、事業会社のCFOを目指したいという思いが捨てきれませんでした。そんな時に、インターネット業界では有名な、ヤフーで経営戦略部長を務められて、2018年に鬼籍に入られた佐藤 完さんという方からお誘いいただき、グループ会社であるヤフーに転職することになったのです。

    「当時のヤフーの規模や、当初担った業務を教えてください。」

    当時は、売上750億円ほど、社員数は1000人くらいだったと記憶しています。毎年倍々で成長していました。
    当時のCFOの梶川(朗)さんが上司となりました。最初の9か月ほどは、広くヤフーのことを知るために内部監査を経験し、その後、経営企画の仕事で主にM&Aを担当しました。

    「そのM&Aの仕事とのつながりで、『筆まめ』シリーズで有名なクレオのCFOになられたのですね。その経緯とミッションを教えてください。」

    クレオは、社長の井上(雅博)さんの「エンジニアのリソース不足を解消するためにエンジニアを大量に供給してくれるパートナーを探したい」という意向を受けて、探してきた会社でした。
    ヤフーからクレオに役員を派遣するタイミングで、井上さんと僕が入りました。井上さんが役員会に出た時に、クレオの業績管理に不安があったので、きちんと業績を管理した方がよいということになり、私がCFOとして入ることになったのです。

    CFOとして行った数々の改革

    「5年間クレオの取締役CFOを務めます。苦労の連続だったと思いますが、主にどのような改革をされたのか教えてください。」

    当初は常勤でもなかったですし、半年ほどで役割を終え、ヤフーに戻る予定でしたが、問題が予想以上に根深かったので、常勤で継続することになりました。
    最初の段階では、不動産などの不良資産を整理するなど、バランスシートの改善に取り組みました。また、『筆まめ』以外のBtoBの人事給与や会計などのパッケージソフトについては、業績が悪く過剰に資産化していました。資産化すると、その年度は業績が改善したように見えますが、償却費が累積していくので問題を先送りしただけです。そこで、そうした項目を減損して整理しました。この取り組みは、目に見えて改善できるので、仕事をした気になるのですが、しょせん会計上の話であり、事業自体は改善していません。事業構造自体を改善しないと、何も変わらないということに気がつきました。

    事業構造自体の改善という意味では、パッケージソフト事業が、品質が安定しないためにアフターコストが膨大になっているという問題がありました。品質の問題は現場の技術者を巻き込んで徐々に改善するしかありませんが、並行してビジネスモデルを変更する必要がありました。当時は、イニシャルコストとしてライセンス料を、ランニングコストとして保守料をもらっていましたが、比較するとライセンス料の比重が重かったのです。ライセンス料の利益率は高いですが、受注販売なので売上状況に大きく左右されます。そのため、大きな案件を失注してしまうと業績を下方修正せざるを得ないという状況でした。こうした体制では安定しませんので、ストックの収入を増やすために保守料の比重を大きくする必要がありました。そこで、1年間だけ僕が事業責任者になって、利益改善に取り組みました。

    さらに、希望退職者も募りました。
    最後に持株会社化もしました。その当時で35年ほどの歴史がある会社で、ずっと事業部制を採っていたのですが、惰性感がありました。僕は、組織が人に与える影響はすごく大きいと考えているので、持株会社にして、事業部を事業会社に、事業部長を社長にしました。事業部長と社長とでは、自分自身の意識や周りからの見られ方が全く変わります。会社のことを自分ごと化して考えられるようになったという意味で、かなり効果があったように思います。

    このように5年間でさまざまな改善をして、ようやく黒字にすることができました。

    「なぜ、そのようなさまざまな改革ができたのでしょうか。」

    1人でできることは少ないので、現場の意見をよく聞き、マネジメント間でも話し合い、井上さんにも相談しながら策を練っていきました。
    うまくいっていないことには、経緯や理由があるはずです。それを司っている組織や人を無視しても上手くはいきません。話を聞く際には、皆さんの意見の集合知を把握しようとするのではなく、一定の切り口や仮説を持ちながら進めることを意識していました。

    「上場企業の取締役CFOという経験はその後のキャリアにどう影響していますか。」

    経営企画のような経営をサポートする立場から、本当の意味で経営サイドの立場を経験しました。経営においては、自分がジャッジした回数や経験が重要です。35歳から40歳くらいまでにそういった経験をさせていただけたことは、すごくありがたかったですし、その後のキャリアの基礎になっています。

    グリー株式会社
    取締役CFO 大矢 俊樹 氏
    1992年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)に入社。 1999年11月、ソフトバンク・インベストメント株式会社(現:SBIホールディングス株式会社)に入社。 2003年2月、ヤフー株式会社に入社し、2005年6月より株式会社クレオ取締役、2006年4月より同社取締役最高財務責任者、2011年4月より同社代表取締役社長。 2012年4月、ヤフー株式会社最高財務責任者 執行役員に就任。 2015年6月、同社 副社長執行役員最高財務責任者に就任し、2018年3月に退任、2018年9月まで同社シニアアドバイザー。 2018年9月、グリー株式会社取締役に就任し、2019年10月より最高財務責任者。