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株式会社アンビスホールディングス/取締役CFO 中川 徹哉 氏

CFOとして社会貢献性のある事業に関わりたい。「お金のプロ」がたどり着いたお金だけでは測れない思い

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株式会社アンビスホールディングス
取締役CFO 中川 徹哉 氏
2011年11月 在学中に公認会計士試験合格
2012年3月 東京大学法学部卒業
2012年4月 あらた監査法人(現:PwCあらた有限責任監査法人)入所
2014年7月 プライスウォーターハウスクーパース株式会社(現PwCアドバイザリー合同会社)入社
2015年4月 モルガン・スタンレー・ビジネス・グループ株式会社入社
2018年8月 Morgan Stanley ニューヨーク本社出向
2020年3月 株式会社アンビスホールディングス入社。同社執行役員CFO就任
2020年7月 株式会社明日の医療取締役就任
2020年12月 株式会社アンビスホールディングス取締役CFO就任
※インタビュアー/バリューアップパートナー株式会社 代表取締役 大塚寿昭
INDEX

    会計士試験に独学で合格

    「中川さんは、監査法人、投資銀行、事業会社というルートを歩まれていて、監査法人や投資銀行出身の方の1つのロールモデルになっていると思います。東京大学の法学部に在籍していた時から将来のキャリアを具体的に考えていたのでしょうか。」

    私の姉は2人とも医者で、私も東大医学部を受験したのですが、残念ながら不合格で私だけが医者になれませんでした。
    よって、一度医者以外の道をゼロベースで考えてみようと思い、法学部を選択しました。大学では、大学の授業のおかげもあり、法律に非常に関心を持つことができました。一方で、弁護士業務自体にはあまり興味を持てませんでした。そんな中、大学3年生の夏に大学の会計の授業を受けます。仕訳や財務3表の仕組み含め、会計そのものに非常に興味を惹かれました。そのことをきっかけに、会計のプロフェッショナルを目指そうと会計士試験にチャレンジすることにしたのです。

    私の勉強方法は独特で、予備校には通わず、市販のテキストやインターネットの情報から、会計基準の適用指針に記載されている会計処理はもちろんのこと、結論の背景や設例を読み漁り、「こうやって会計ができたのか」「ここが論点だな」と会計論点を一つずつ納得して習得していきました。具体的な事例にあたりたいときは、公開会社の有価証券報告書等をインターネットで検索し、実務ではこのようにするのかと会計基準と照らし合わせながら勉強していたのも一つの特徴だと思います。

    「よく合格できましたね。」

    大学3年生の12月に一次試験に合格、大学4年生の8月に二次試験に合格しました。他の人よりも勉強量は少ないので、間違いなく運もあったと思います。会計論点を網羅的に勉強するのではなくて、重要な会計論点の結論の背景を重点的に理解していきました。
    よって、丸暗記した会計基準はほとんどなかったです。但し、結論の背景を覚えていれば、おおよその問題は解く事ができました。
    現在も、例えば、業界特有の論点である控除対象外消費税を含む色々な会計論点について、元々詳しく知らなかった会計論点もゼロベースで考え、適切な会計処理を選択出来ているのは、まさに会計基準を暗記しているからではなく、背景を理解しているからと思います。 そういう意味では、投資銀行の経験はもちろんですが、会計士の知識がなければ、今のCFOとしての業務はできていないと思います。たった数年間ですが、会計士の試験勉強と監査法人で会計実務に触れた経験が、私のCFOとしてのベースを築いていると思います。

    投資銀行でクライアントに近い存在へ

    「監査法人を3年で辞めて、競争が激しい外資系投資銀行のモルガン・スタンレーに転職した理由を教えてください。」

    その時その時で自分が好きな道を選んできたというのが正直なところです。投資銀行に転職する前に、監査法人時代にDDに関わらせてもらう機会が多くあったことから、PwCアドバイザリーに異動しました。しかし、実際に会計アドバイザーとしてDDを担当したら、クライアントの一番近くには投資銀行のバンカーがいて、その先にDDのアドバイザーがいるという構図で、DDのアドバイザーはクライアントとの距離が遠いと感じました。そこで、最終的な意思決定をするクライアントに近づきたいと思い、投資銀行に転職しました。また、日本企業が海外企業を買収するクロスボーダー案件に携わりたいと思って、外資系を選びました。

    投資銀行に転職した当初は、私が数時間経ってもできなかった仕事を数分でこなしてしまう上司を見て、何も出来ない自分に不甲斐なさ、悔しさを感じました。最終的には楽しいと思えるようになりましたが、投資銀行時代は苦しく辛いことの方が多かったように思います。但し、与えられた仕事に全力で取り組むという仕事の基礎を、モルガン・スタンレーで徹底的に叩き込まれたので非常に感謝しています。外資系投資銀行は、勤務時間が長い事が特徴と思われがちですが、一番の特徴は、時間が長い事よりも仕事に対して全力で取り組む人が多いという事であり、もう一度キャリアを始めるとしても必ず経験したい職場だと思います。

    「投資銀行時代はどのような業務に就いていたのですか。」

    主にはM&Aと資金調達のアドバイザーをしていました。
    M&Aのアドバイザーは、売り手側か買い手側について、企業価値を算定し、最終的に案件をまとめるという業務を担います。
    資金調達のアドバイザーは、株式や債券等を発行し、当該証券に関心がある投資家に買ってもらうことで、クライアントが必要とする資金を調達するという業務を担います。

    投資銀行本社で経験した挫折

    「投資銀行にいた5年間の間に、アメリカに出向されていますね。自ら手を挙げたのでしょうか。」

    そうですね。3年目の終わりに審査があり、その審査においてトップになればニューヨークに出向することができます。社内の審査員数名にニューヨークに行きたい理由をプレゼンしました。入社1年目からどうせ入社するなら同期トップとなってニューヨークへ行き、本社でチャレンジしたいと思っていました。

    「ニューヨーク本社ではどのようなことをされたのでしょうか。」

    金融機関やテック系企業のM&Aのアドバイザー業務がほとんどでした。
    クライアントは、日本企業は一つもなく、全て米国企業でした。ただ、これがすごく難しかったです。行く前は自信満々でしたが、異国で生活したことがない中、クライアントとの距離感を埋めれずに完膚なきまでにたたきのめされました。例えば、ディナーをしたとしてもクライアントとの距離が縮まらないのです。最初は気を遣って頂き、日本に関する会話や日常会話をしていたとしても、時間が経ってお酒が進むと話すことがなくなります。アメリカンフットボールの選手も知らない、バスケットボールの選手も知らない、アメリカでの趣味もない。そんな日本人と話すぐらいであれば、誰だって現地の人と話す方が楽しいですし、経営上の悩みを打ち明けられると思います。一方、そんな弱音ばかり吐いてても仕方ないので、何とか何か勝てるものはないかと探しました。そして、それは財務モデリングでした。

    最終的に、MBA卒業生のモデル講師をやらせて頂くことになったので、社内の信頼を勝ち得たと思います。しかし、クライアントからは、「モデルがいくらできてもあなたに頼む必然性がない」ということになる。その壁が乗り越えられませんでした。英語ネイティブでなくともニューヨーク本社でトップ評価が取れると思って行ったのですが、自分の実力ではトップにはなれないと実感しました。この挫折は、今現在を含む今後のキャリアに大きく影響を及ぼすきっかけとなりました。本社で関わる同僚・クライアントは、自分と同程度またはそれ以上の能力があり、各国の歴史やスポーツ含めあらゆる点において教養・知識が豊富な人がたくさんいて凌ぎをけずっていました。この挫折は私の中で想像以上に大きく、この業界を離れようと考えるきっかけになりました。そして、同時に、もっともっとがむしゃらに働き成長したい、そう思わせてもらったニューヨーク本社での経験でした。

    「モルガン・スタンレーから事業会社に転職します。その際、会社を選ぶ基準を設定していましたか。」

    モルガン・スタンレーを退職した後は、ヘッジファンドに転職をしようと思っていました。理由は、仮想ポートフォリオを組んで、利回りを計算するくらい株が好きだったからです。
    投資銀行の次の職場を選ぶ基準としては、自分の持っている能力を発揮でき、成長できる場所がいいと考えていました。

    株式会社アンビスホールディングス
    取締役CFO 中川 徹哉 氏
    2011年11月 在学中に公認会計士試験合格 2012年3月 東京大学法学部卒業 2012年4月 あらた監査法人(現:PwCあらた有限責任監査法人)入所 2014年7月 プライスウォーターハウスクーパース株式会社(現PwCアドバイザリー合同会社)入社 2015年4月 モルガン・スタンレー・ビジネス・グループ株式会社入社 2018年8月 Morgan Stanley ニューヨーク本社出向 2020年3月 株式会社アンビスホールディングス入社。同社執行役員CFO就任 2020年7月 株式会社明日の医療取締役就任 2020年12月 株式会社アンビスホールディングス取締役CFO就任