「ビジネスは面白い」という気づき
「大西さんは、中部電力のプラントオペレーターからキャリアをスタートしていますね。技術畑の方がビジネスに興味を持った背景を教えてください。」
原子力発電所で働いていた入社2年目の頃、発電所の運転課長である上司にビジネスマン育成研修に行くように勧められました。
内容もわからないままに参加したのですが、困難を乗り越えるための方法やマインドなどが研修テーマで、「お! ビジネスって面白いな」と興味を持ったのです。そこから、ビジネス書も読み始めました。社内のベンチャー育成制度に応募していました。ベンチャーとしては立ち上げることはできませんでしたが、社内公募制がスタートしたので第1号として、本社の経営戦略本部という企画部門に異動しました。そこでは、ベネッセコーポレーションとの介護事業や不動産開発事業などの新規プロジェクトにも携わりました。
「そういったご経験を経て、会計事務所に転職されていますね。」
会計事務所への転職の理由は、名古屋から福岡に帰らなくてはならないという家庭の事情がありました。自分が担当して作った中部電力の子会社に異動する予定があったのですが、結局難しくなってしまったので、それならば経営コンサルタントをしてみたいと思ったのです。コンサルティング会社のような社名だったので転職したのですが、実際は会計事務所でした(笑)。
経営に携わりたいという思いがあったので、企業の社長とお話しできる機会が多いことはありがたかったのですが、税務や会計について詳しく学ぶ修行期間がありました。
事業再生の会社の中での経験
「会計事務所での2年間の修行を経て、事業再生を検討する企業へ取締役CFOとして転職されています。なぜあえて厳しい道を選んだのでしょう。」
取締役CFOというと格好良く聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。従業員が20名くらいの会社です。会計事務所でお手伝いしていた会社で、創業者の社長から「もう年やけん、辞めたい」と相談されていました。会計事務所で事業承継のサポートをしようと考えていたのですが、当時は、今のように一般的ではなく、反対されてしまいます。そこで、僕が会計事務所を辞めて、社内に入り、事業承継の支援をすることにしたのです。会長にはお子さんがいらっしゃらなかったので、社内昇格で承継を進めていこうと考えていた矢先に、リーマンショックが起こります。売上が半分以下まで減少し、赤字に転落しました。先に事業再生しなければ承継どころではないという状況に陥ってしまったのです。
「それは大変でしたね。その中で、最も苦労したことを教えてください。」
とにかくお金がなかったことです。従業員に給料が支払えなくなりそうな時には、私個人の貯金を会社に入れて賄いました。日単位ではなく、分単位で資金繰りをしていました。当時まだ手形の割引をしていたので、朝、割引するために銀行へ向かいました。銀行員に「本当にこの現場は稼働していますよね?」と確認され、車で現場にお連れして、「ちゃんと動いているでしょう」と安心してもらい、ようやく手形を割引いてもらってお金を作ったこともあります。
「事業再生は辛く苦しいと思いますが、何がモチベーションになっていたのでしょうか。」
本当に「ビジネスやっているな」という感覚があったことでしょうか。お金がなかったので、税理士も弁護士も社労士も雇えず、全て自分たちで一つずつ乗り越えていきました。
止血をするために、コストカットもしました。法人税の申告書も手書きで作成しましたし、週1回、従業員に休業をしてもらい、それに伴う休業補償などの労務の対応もしました。また、訴訟についても「どうせ負ける裁判なら1人で行ってきます」と裁判所に行ったこともありました。そういう意味では、あまり自分の領域を限定しないようにしています。新規事業を立ち上げたときは自分で営業も行います。設計図を書いて、机を作ったこともあります。福岡の三越の時計売り場の修理工場の机は、私が設計した机で、10年経った今でも取り扱い会社のカタログに載ってます。
「振り返ってみて、この時期にはどのようなスキルが必要だったと思いますか?」
小さい会社だったので、「これが私の仕事です」と制限していたら会社は良くなりません。「何でもやる」という気持ちで、そのときどきで必要な勉強をして、すぐ実行していきました。そういうマインドやスキルは必要だったように思います。
「よく心が折れませんでしたね。大西さんは、精神的にも体力的にもタフなのでしょうか。」
そんなことはありません。ただ、思い起こせば、原子力発電所の運転員のときも、たまに火報がなると1番最初に現場に到着していました。トラブルなどがあった時に躊躇しないタイプではあると思います。
「社長とはどういう関係性でしたか。」
「これをやらなければ倒産する」という状況なので、お互いに「これでいこう」と合意したら、すぐに実行するという状況でした。ぶつかったことはありません。「大西ちゃんが言うならそうしよう」と言ってくれていました。信頼関係がなければ、会社は倒産していたと思います。
「そういう苦しい状況の中でMBAも取得されていますよね。よくMBAにも目を向けられましたね。」
元々興味があったんです。中部電力には、素晴らしい学歴の同期が多く、海外へMBA留学をする人もいました。でも僕は高専卒で、大学卒の資格がないので、それにチャレンジすることもできなかった。しかし、ある時、高専卒でも論文を2〜3本書くことで入学できるビジネススクールがあることを知って、大前研一さんが誰かもよくわからないまま、大前さんのビジネススクールに飛び込んだんです。取締役は、時間を自由に使えるので、隙間の時間を有効に活用して勉強し、3年間かけて卒業しました。