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#事業承継
株式会社アドバンテッジパートナーズ
パートナー 早川 裕 氏

PEファンドのパートナーから見た「魅力的なCFO」 成功するCFOの素養とは?

PEファンドに入社するまで 「アドバンテッジパートナーズで活躍されている早川さんですが、現在に至るまでの経歴を教えてください。」 私のキャリアは少し変わっているかもしれません。大学ではロボット工学を学び、独立系のシンクタンクに就職しました。当時、理系はそのまま大学院に進むか、大学の推薦で大手のメーカーに就職するケースが多かったと記憶しています。シンクタンクでは、原子力エネルギーに関する各国の安全規制動向の調査や事故事例の調査分析などを担当しました。エネルギー政策の分野は、技術だけでなく、政治も経済も、社会心理学だって絡んできます。次第に、そういった学問を多面的に学び、さまざまな事象を理解したいと思うようになったのです。そして、理系と文系をまたいで勉強ができるアメリカのカーネギーメロン大学の大学院に進学することにしました。シンクタンクで働き始めて4年目のことでした。 大学院では技術政策を学び、その分野で博士号を取得しました。そのままアメリカでアカデミアのキャリアを目指していましたが、コンサルティング会社のマッキンゼーから声をかけていただき経営コンサルタントの世界に入りました。マッキンゼーでは主に製造業やハイテク企業に対するコンサルティングプロジェクトに参加していましたが、キャリアの後半になると、PEファンドから依頼を受けて、事業会社の事業デューデリジェンス(DD)の仕事が増えていきました。株主の視点でも経営に関与できるPEファンドの仕事に興味を持つようになり、すでにマッキンゼーの先輩や同僚が活躍していたアドバンテッジパートナーズに2008年に転職することにしたのです。8年間勤務したマッキンゼーを退職しました。アドバンテッジパートナーズには主に投資先の企業価値向上プロジェクトを担当する役割で入社しましたが、2015年頃からは投資全体に関与するようになりました。当時も今も私が担当する投資先企業は製造業が中心です。 「組織で勝つ」という意識の強さが特徴 「アドバンテッジパートナーズは日本のPEファンドを牽引してきた独立系の大手投資ファンドですが、どのような特徴を持った会社でしょうか。」 日本で一番古いPEファンドの一つで、社員数も投資件数も多いので、業界のリーダーであるという自負があります。特徴としては、経営支援に重きを置くという姿勢を持っていることが挙げられます。経営管理の強化やコスト削減活動に加え、売上拡大など成長支援の取り組みを大切にしています。事業モデルの変革も必要あれば積極的に行います。売上拡大は、コスト削減よりも難易度が高いと思います。どうやって営業活動を活性化させるか。新たなお客様をどう開拓するか。値段をどう適正化するか。デジタルを使ったマーケティングや営業をどう進めていくか。あれやこれやと会社の方と議論させていただきます。事業モデルの変革とは、例えば、製品の売り切りモデルからサービスも含めたリカーリングモデルへ転換していくといったことが挙げられます。 PEファンドは金融機関に分類されると思いますが、我々はコンサルティング会社のような性質を持っていることも特徴の1つです。つまり、「組織で勝つ」という意識が高いです。自分の案件を担当することで成長するということだけではなく、社内で実施される組織横断的な活動への貢献も求めています。各案件で得た経験や知見を社内で共有し、それをまた別のメンバーが担当の投資先で活用する。どんなに優秀な人でも、1人のインプットとアウトプットの量には限界がありますので、組織で勝っていくことが重要だと思っています。さまざまなバックグラウンドを持ったメンバーが集まっていることも特徴です。シニアメンバーはコンサルティング会社出身が多いですが、組織全体としては、投資銀行出身者、FAS出身者、VC出身者など多様です。案件を多面的な視点で成功に導くということが大事ですが、各個人のスキルアップの観点でも異なるバックグラウンドを持っている者が集まっていることは重要です。近年ではプロフェッショナルメンバーの女性比率も高まっています。 投資の3つのポリシー 「これまでの投資対象と投資実績を可能な範囲でご説明ください。」 アドバンテッジパートナーズとしては、多様な業種業態に投資をしてきました。中でも、消費財、小売りやサービス業界が多く、例えば、クラシエや牛角、成城石井、コメダ珈琲、石井スポーツ、やる気スイッチ、キューサイなどが挙げられます。上場企業投資チームの方は、フジオフードシステムや物語コーポレーション、ルネサンスへの投資・経営支援などの実績があります。 「その中で、早川さんはこれまで特にどのような業種・規模感の会社に投資してきたのでしょうか。」 私自身の投資経験は、これまでの専門性が生きる領域ということもあり、ハイテクや製造業の企業が中心です。具体的には、自動車関連部品、厨房機器、産業機器や電子部品・デバイス、機械、プラスティック成形などです。投資担当先の規模感は、現在投資中の会社に限ると小さい方は売上100億円程度、大きい会社の場合には1000億円弱といったところです。 「早川さんの投資スタンスについてもお聞かせください。」 私が大事にしているポイントは3つです。1つは、技術でもサービスでも品質でも良いのですが、他社に真似されない、その会社にしかない要素があるかということです。私はいつも、「なぜこの会社はお客様から注文がもらえるのか? なぜ他社ではなくてこの会社なのか?」を理解するように心がけています。その理由を突き詰めた時に、この会社にしかない要素があり、だからこの会社に発注せざるを得ないということが見えてくれば、この会社には競争優位があると判断します。また、その競争優位を生み出すリーダーシップや組織能力も理解したいと思っています。 もう1つは、詳細な顧客セグメンテーションをして、市場を絞った上でのシェアが高いことです。性別や年齢などの在り来りなセグメンテーションではなく、できる限り詳細に分解されたセグメンテーションでのシェアを重視しています。マクロでみると世界シェア一桁%の会社も、サブセグメントで見るとシェア50%ということがあります。そして、なぜシェアを取れているかには必ず理由があります。その理由は、他社に真似できない要素を持っているということに行き着くので、1つ目のポイントと同義といえば同義なのですが、この観点も大切にしています。 そして最後に、その市場、特にその会社が属するサブセグメントは成長するか、という点も検証します。 「投資を決める際に、前職のマッキンゼーのようなコンサルティング会社にも入ってもらうことはありましたか?」 事業DDをコンサルティング会社に支援いただくことはよくあります。私も実際コンサルティング会社ではDDプロジェクトに関与しておりました。PEファンドの立場として大事なのは、コンサルティング会社に事業DDをお任せしてしまうのではなく、この観点で検証してほしいという、論点を明確にすることと考えています。5年間という投資期間もしっかり意識してもらうことも重要なポイントとなります。投資直後の100日計画の作成や実行、投資後しばらくしてからも特定の課題があって会社の方々だけでは解決が難しいと考えれば、コンサルティング会社の支援を仰ぐことは良くあります。
#事業承継
HYUGA PRIMARY CARE株式会社
取締役 CFO 大西 智明 氏

経営者の生き方とは山頂がない山登りのようなもの。挑戦と努力を続けて社会へ恩返しをしたい

「ビジネスは面白い」という気づき 「大西さんは、中部電力のプラントオペレーターからキャリアをスタートしていますね。技術畑の方がビジネスに興味を持った背景を教えてください。」 原子力発電所で働いていた入社2年目の頃、発電所の運転課長である上司にビジネスマン育成研修に行くように勧められました。内容もわからないままに参加したのですが、困難を乗り越えるための方法やマインドなどが研修テーマで、「お! ビジネスって面白いな」と興味を持ったのです。そこから、ビジネス書も読み始めました。社内のベンチャー育成制度に応募していました。ベンチャーとしては立ち上げることはできませんでしたが、社内公募制がスタートしたので第1号として、本社の経営戦略本部という企画部門に異動しました。そこでは、ベネッセコーポレーションとの介護事業や不動産開発事業などの新規プロジェクトにも携わりました。 「そういったご経験を経て、会計事務所に転職されていますね。」 会計事務所への転職の理由は、名古屋から福岡に帰らなくてはならないという家庭の事情がありました。自分が担当して作った中部電力の子会社に異動する予定があったのですが、結局難しくなってしまったので、それならば経営コンサルタントをしてみたいと思ったのです。コンサルティング会社のような社名だったので転職したのですが、実際は会計事務所でした(笑)。経営に携わりたいという思いがあったので、企業の社長とお話しできる機会が多いことはありがたかったのですが、税務や会計について詳しく学ぶ修行期間がありました。 事業再生の会社の中での経験 「会計事務所での2年間の修行を経て、事業再生を検討する企業へ取締役CFOとして転職されています。なぜあえて厳しい道を選んだのでしょう。」 取締役CFOというと格好良く聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。従業員が20名くらいの会社です。会計事務所でお手伝いしていた会社で、創業者の社長から「もう年やけん、辞めたい」と相談されていました。会計事務所で事業承継のサポートをしようと考えていたのですが、当時は、今のように一般的ではなく、反対されてしまいます。そこで、僕が会計事務所を辞めて、社内に入り、事業承継の支援をすることにしたのです。会長にはお子さんがいらっしゃらなかったので、社内昇格で承継を進めていこうと考えていた矢先に、リーマンショックが起こります。売上が半分以下まで減少し、赤字に転落しました。先に事業再生しなければ承継どころではないという状況に陥ってしまったのです。 「それは大変でしたね。その中で、最も苦労したことを教えてください。」 とにかくお金がなかったことです。従業員に給料が支払えなくなりそうな時には、私個人の貯金を会社に入れて賄いました。日単位ではなく、分単位で資金繰りをしていました。当時まだ手形の割引をしていたので、朝、割引するために銀行へ向かいました。銀行員に「本当にこの現場は稼働していますよね?」と確認され、車で現場にお連れして、「ちゃんと動いているでしょう」と安心してもらい、ようやく手形を割引いてもらってお金を作ったこともあります。 「事業再生は辛く苦しいと思いますが、何がモチベーションになっていたのでしょうか。」 本当に「ビジネスやっているな」という感覚があったことでしょうか。お金がなかったので、税理士も弁護士も社労士も雇えず、全て自分たちで一つずつ乗り越えていきました。止血をするために、コストカットもしました。法人税の申告書も手書きで作成しましたし、週1回、従業員に休業をしてもらい、それに伴う休業補償などの労務の対応もしました。また、訴訟についても「どうせ負ける裁判なら1人で行ってきます」と裁判所に行ったこともありました。そういう意味では、あまり自分の領域を限定しないようにしています。新規事業を立ち上げたときは自分で営業も行います。設計図を書いて、机を作ったこともあります。福岡の三越の時計売り場の修理工場の机は、私が設計した机で、10年経った今でも取り扱い会社のカタログに載ってます。 「振り返ってみて、この時期にはどのようなスキルが必要だったと思いますか?」 小さい会社だったので、「これが私の仕事です」と制限していたら会社は良くなりません。「何でもやる」という気持ちで、そのときどきで必要な勉強をして、すぐ実行していきました。そういうマインドやスキルは必要だったように思います。 「よく心が折れませんでしたね。大西さんは、精神的にも体力的にもタフなのでしょうか。」 そんなことはありません。ただ、思い起こせば、原子力発電所の運転員のときも、たまに火報がなると1番最初に現場に到着していました。トラブルなどがあった時に躊躇しないタイプではあると思います。 「社長とはどういう関係性でしたか。」 「これをやらなければ倒産する」という状況なので、お互いに「これでいこう」と合意したら、すぐに実行するという状況でした。ぶつかったことはありません。「大西ちゃんが言うならそうしよう」と言ってくれていました。信頼関係がなければ、会社は倒産していたと思います。 「そういう苦しい状況の中でMBAも取得されていますよね。よくMBAにも目を向けられましたね。」 元々興味があったんです。中部電力には、素晴らしい学歴の同期が多く、海外へMBA留学をする人もいました。でも僕は高専卒で、大学卒の資格がないので、それにチャレンジすることもできなかった。しかし、ある時、高専卒でも論文を2〜3本書くことで入学できるビジネススクールがあることを知って、大前研一さんが誰かもよくわからないまま、大前さんのビジネススクールに飛び込んだんです。取締役は、時間を自由に使えるので、隙間の時間を有効に活用して勉強し、3年間かけて卒業しました。