COLUMNコラム

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#コントローラー
株式会社ストルアス
管理部 部長(コンロトーラー) 安田 健子 氏

ファイナンスや英語の知見を活かし、日系企業から外資系コントローラーになるまでの道のり

債権回収も経験したリクルートでの学び 「大学卒業後、リクルートに就職した理由を教えてください。」 就職活動をスタートした頃に、たまたま1〜2日ほどアルバイトでリクルートに行く機会がありました。その時に、リクルートの社員の方から「興味があったら働いてみないか」と声をかけていただきました。その後、何度か職場を見学させてもらい、活気があって面白そうな会社だと思い、応募しました。 「リクルートではどのような業務を担当したのでしょうか。」 営業経理という部署に配属となりました。学生時代は英語を専攻していましたが、当時のリクルートには英語を活かせる部署はなかったので、最初に配属された部署の仕事をしっかり覚えていこうと考えていました。結果的に、この配属が経理・会計の道への入口となりました。営業経理は、広告の注文を確定し、納品、請求、入金までの一連の流れの管理を担う部署です。元々は経理部門にあったのですが、動きをスピーディにするために各ビジネス部門に移管されました。私はSUUMOを取り扱っている住宅部門の企画室に配属になりました。 しばらくすると、バブルがはじけ、滞留債権の回収までを担当しなくてはならなくなりました。営業や法務と連携したり、小さい企業に対しては課長と一緒に訪問したりして、債権回収業務を経験しました。与信管理や債権回収の業務は、どの企業でも重要な仕事です。振り返ってみると、会計・経理のキャリアの最初の段階で、これらの業務を経験できたことはとても幸運でした。その後のキャリアでも必ず必要な知識、経験として役立っています。 外資系企業への転職を目指し、US CMA(米国公認管理会計士)を取得 「いつ頃からFP&Aの仕事に興味を持つようになったのでしょうか。」 リクルートでビジネス部門へと異動になり、分析、組織変更支援、企画、新商品開発のステータス管理、プロジェクトの管理などを経験する機会をいただきました。また、統括・企画・営業・システム・審査などの関連部門との協働が増え、ビジネス自体をより深く理解できるようになりました。一層仕事が面白く感じられるようになったのです。ビジネス理解のために宅建の資格も取得しました。 入社10年ほど経った頃、営業経理という仕事にもアウトソーシングの波が押し寄せ、担当していた仕事の7割ほどを外部に移管することになりました。その頃から真剣に将来の生業を考えるようになりました。会計や経理の仕事は好きでしたが、大学卒業後も英語を継続して勉強していたこともあり、将来的には英語を活かして外資系企業で働きたいという思いが強くなっていきました。調べていくと、外資系企業にはコントローラーという仕事があるということを知りました。コントローラーは、会計・経理の知識を基盤にビジネスパートナーとして活躍する仕事です。知れば知るほど、興味を持っていきました。 「USCMAやUSCFMの資格はいつ頃取得したのでしょうか。また、なぜ取得しようと思ったのですか。」 外資系企業でコントローラーになりたいと思い始めてから、そのポジションに就くために必要な知識があることを証明できる資格を取得したいと考えました。USCPA(米国公認会計士)を取るか、USCMA(米国公認管理会計士)を取るか迷った末、ビジネスをサポートする上ではUSCMAだと自分なりに考えてそちらを選びました。私の強みは、近くでビジネスをサポートする会計を理解していることであり、そこを基盤にしていきたいと考えたからです。USCMAの勉強をし始めると同時期に、石橋 善一郎さんをはじめ、コントローラーやCFOとして実際に活躍されている方々にお会いして非常に刺激を受けました。尊敬するロールモデルに少しでも近づきたいという思いで一生懸命学び、2005年にUSCMAを取得しました。USCFM(米国公認経営管理士)は、カーギルに転職した後の2007年に取得しました。 「内部監査人の資格も取得したのはなぜでしょう。」 現職のストルアスに入社してから必要に迫られて、ISO9001の内部監査人の資格を取得しました。ストルアスは、社員数が50人程度の小さな会社です。内部監査人の資格については、ビジネスシステム導入と全社ISO9001取得のプロジェクトにおいて、ビジネスシステムの内部監査を担うために取得しました。この役割により、ビジネスにおける重要プロセスを理解することができました。 カーギルジャパンへの転職 「20年ほど勤務したリクルートを退職して、念願の外資系企業に転職されました。外資系企業のなかで、なぜカーギルジャパンを選んだのでしょうか。また、不安はありませんでしたか。」 しっかりと資格を取ってから、外資系企業へ応募していこうと思っていましたが、20年も日本企業に在籍していたため、外資系企業の経験がないという理由で不採用となった会社もありました。その点、カーギルジャパンはリクルートでの経験も考慮しての採用でした。また、面接の際に、採用担当者の話を聞き、この方たちと一緒に仕事をしたいと思ったことが決め手となりました。不安よりも外資系企業のコントローラーになりたいという思いの方が強かったです。1度しかない人生、やるだけやってダメならば諦めもつくと、覚悟を決めていました。 「カーギルジャパンの事業内容や日本における組織について教えてください。」 カーギルジャパンは、全世界に、農業・食品・金融・工業製品を供給する米国の穀物メジャーの日本法人です。当時は、400名ほどの従業員がいました。東食を買収して日本でのビジネス規模を拡大していました。私の在籍当時は、日本で10〜14のビジネスユニット(BU)がビジネスを展開していました。日本における2大BUは、穀物油脂本部と東食でした。ファイナンス組織は、各BUのBS・PL・予算策定・ビジネスサポート・リスクマネジメント・内部外部監査などを担っていました。経理だけでなく、為替のポジション管理など、財務的なことも担当しました。 周囲を巻き込んで自主的に開催した勉強会 「カーギルジャパンではどのような業務からスタートしたのですか。」 私は、経理部に配属となり、穀物油脂本部のシニアアカウンタントとして業務をスタートしました。担当はとうもろこしと油脂でした。リクルートでは、ビジネス部門の経理でしたので、基本的にはBSは見ず、PLの売上や原価などの決まった部分しか見ていませんでしたが、カーギルは、BS・PLを見ながら、リスクマネジメントやビジネスのサポートなども行い、広くファイナンスの立場からビジネスを支援する仕事でした。 「カーギルジャパンでは、リクルートで得たスキルは活かされましたか。」 リクルートで、非常に役に立つスキルを習得させてもらったと転職してから気がつきました。例えば、問題解決スキル、プレゼンテーションスキル、プロジェクトマネジメントスキル、システム導入・管理スキルなどです。リーダーシップやファシリテーションスキル・コニュニケーションスキルもそうです。 「カーギルジャパンで英語の勉強会などを開催されていたようですが、業務外での活動の原動力はどんなことだったのでしょうか。」 カーギルは外資系企業ですが、私が入社した時は外国の方がほとんどおらず、日常的には英語を使用しない環境でした。そのため、今後に備えて学んでいく必要があると考えて、有志を募って、ランチタイムに英語の勉強会を開催することにしたのです。他にも、苦手なことや未経験のリスクマネジメントなどについても勉強会を開催しました。1人よりみんなで学ぶ方が刺激になりますし、私自身も楽しいので、「こういうことをやりたいのですが、みんなで集まって勉強会をしてみない?」と声をかけていました。 「その後、事業部のファイナンスマネージャーになられています。主な役割や実績を教えてください。」 穀物油脂本部のコントローラーの下にマネージャーが2名いるという体制で、昇進してそのうちの1名になりました。メンバー2名と一緒に、担当部署の会計全般とリスクマネジメント、予算策定、戦略サポートを担当し、新たなプロセス導入や内部統制の強化等を実現しました。 「そのときに、苦労したことがあれば教えてください。」 カーギルはトレーディングもしているため、特殊な会計知識を身につけておかないとついていけません。複雑な仕組みやテクニックが必要で、そこを学ぶことが一番大変でした。私は、カリスマトレーダーと呼ばれる方に勝手に弟子入りし、3〜4ヶ月ぐらい特訓を受けて、疑問点を解消してもらう機会を得ました。すごく親切にわかりやすく教えていただき感謝しています。その知見が基盤となって、その後はどんどん仕事が面白くなっていきました。
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石橋 善一郎 氏

【前編】FP&Aプロフェッショナルが目指したCFOへのキャリア。そして、その先に見えた自身の役割とは

FP&AプロフェッショナルとしてCFOを目指す 現在は、「CFOのその後のキャリア」として、職業人団体や会計大学院・経営大学院でCFOを目指すプロフェッショナルへの啓蒙および教育活動をなさっている石橋さん。現在に至るまでのご経歴を時系列で伺います。 「大学卒業後、富士通に入社していますが、いつ頃からCFOという職業を意識したのですか。」 私は、1982年に富士通に入社して、経理部でも財務部でもなく、海外子会社の事業を管理する海外事業管理部に配属されました。1980年代の日本において、CFOという概念はほとんどありませんでしたので、国内勤務の3年間は、経理や財務のスキルを使って事業管理を行う経営管理業務が自身の仕事だと認識していました。4年目にシリコンバレーにある富士通アメリカへ駐在となります。ここでも、電算機、通信機、半導体などの製品事業部レベルの富士通アメリカの子会社(富士通の孫会社)の事業管理をしていました。この時に初めて、CFOという職業に出会います。各子会社に米国人のCEOとCFOがセットで配置されていました。彼らと仕事をする中で、CFOの仕事とは、経理や財務だけでなく、むしろ最もメインの業務である事業管理や経営管理を行うFP&Aという仕事であるということを知りました。当時はCFOになりたいという思いは抱いていませんでしたが、振り返ると、ここで出会ったCFOの方々が後の私のロールモデルの1つとなりました。 「FP&Aについて、簡単にご説明をお願いします。」 FP&Aの定義は誰に伝えるかが大事なので、日本企業の子会社で事業管理をしていた20代の私自身に向けた説明をします。FP&Aとは、本社レベルではなく事業部レベル(工場や営業所や研究所や子会社や海外子会社をイメージしてください)で、事業戦略の形成・実行の当事者としてビジネスパートナーになり、中長期的に事業価値を成長させることです。そして、そのためには、事業と事業戦略を理解すること、事業部のことを理解すること、事業部の人々と仕事上の関係を構築することの3点が大切です。FP&Aを構成する主要な要素は、FP&Aプロセス、FP&A組織、FP&AプロフェッショナルおよびFP&Aテクノロジーの4つです。もっと詳しく知りたい方は、拙著『CFOとFP&A』と『FP&A入門』(いずれも中央経済社)を参考にしてください。グローバル企業においてFP&A組織は、CFO組織の真ん中に存在します。 日本でのキャリアに夢を描けずMBA取得へ ・その後、スタンフォード大学に留学された理由を教えてください。 富士通アメリカで3年働いた後、自分が日本本社に戻るイメージが持てませんでした。正直なところ、日本企業におけるサラリーマンの働き方やキャリアにあまり夢がないなと思ったのです。そこでMBAを取得しようと決意しました。当時はMBA取得後に何をするかのイメージはなく、CFOに就くことも意識していませんでした。ただ、MBAが何かになるためのステップになるのではないかと思ったのです。そして、どうせ学ぶのであれば、最高のビジネススクールがよいと考え、スタンフォード大学のビジネススクールに入学しました。MBA課程では、1年目は、戦略論やマーケティング、統計学、ファイナンスなど経営学全般を学びました。2年目の選択科目は管理会計や企業財務関連の科目を中心に履修しました。MBAで学んだことは、FP&Aプロフェッショナルとして真のビジネスパートナーとなることの基盤になりました。現在、会計大学院・経営大学院で教えていることも、ここで学んだことの延長線にあります。 「目指すべきはCFO」と気づいた経営コンサルタントとしての経験 「その後、経営コンサルタントになっていますね。」 MBA取得後は戦略コンサルティング会社で経営コンサルタントとして働くことにしました。ただ、1年ほど働いて、自分のやりたいことではないと気がつき、退職しました。経営コンサルタントは組織の外から経営者をサポートする仕事。私は企業の中で直接、経営に関わりたかったのです。キャリア選択の際に私が大切にしてきたことは3つあります。1つ目は、「自分はその仕事が好きか、嫌いか」ということです。私は、スタンフォード大学経営大学院での学びと会計や財務の知識を活かした業務に携わりたいと考えていましたが、公認会計士のように監査法人で働きたいわけではなく、企業内で事業に関わりたいと思っていました。 2つ目が、「その仕事は自分に向いているか、いないか」ということです。私は数字を扱って客観的に説明することが得意なので、それに関わる仕事がしたいと考えていました。3つ目は、「その仕事からの経験と自己学習を積み重ねることによって、長期間においてプロフェッショナルとして成長を継続することができるか」ということです。経営コンサルタントの仕事に携わる中で、「グローバル企業においてCFOはCEOのビジネスパートナーとしてFP&Aの仕事をしていた。もしかしたら、CFOという仕事こそが、私が好きで、得意で、将来の自分にリターンがある仕事かもしれない」と思うようになったのです。 インテルへ入社し、真のCFO組織に出会う CFOを目指すならば、どこの企業がいいのかを考えました。当時は日本企業にCFOという役職が存在しませんでしたので、外資系企業で働くしかないと思いました。そこで、当時シリコンバレーで人気があった、Intel、Microsoft、Apple、Sun MicrosystemsなどのIT企業の日本法人数社に、「私は将来CFOになりたいです。ただ、まだマネージャーにもなったことがありません。CFO組織のマネージャーとして入社させてください」とレジュメを書いて送りました。その中から、インテル日本法人のカナダ人の社長が、「1回お会いしましょう」と返事をしてくださり、東京本社で面接をすることになったのです。 当時、インテルの日本法人には、20名ほどのCFO組織があり、経理、財務、FP&Aの3つのセクションがありました。すでにマネージャーがいらしたので、新設のセクションを作ってもらい、マネージャーとして入社しました。その後、FP&Aセクションのマネージャーが退職されたので、FP&Aセクションのマネージャーになりました。 「その頃のCFOのロールモデルはいたのでしょうか。」 インテルには、米国本社に本社CFO、その下に米国、欧州、日本およびアジアの4つの地域にも4人の地域CFOがいました。日本法人のCFOは本社CFOの直属の部下でした。インテルのCFO組織は風通しが良く、全世界のCFO組織のメンバー全員がチームになっていました。つまり、インテル日本法人に入社した瞬間に、グローバル企業のCFO組織が見えるようになったのです。私にとっては、CFOになるための役割を学ぶことができる多くのロールモデルの方々と出会うことができる組織でした。 さらに、経理組織、財務組織とFP&A組織の関係性もよく分かりました。 言い換えるならば、FP&Aプロフェッショナルは、CFOになるための一丁目一番地にあるということが見えてきたのです。私には、ずっとFP&A組織のリーダーでいたいという思いがありました。本質的には、FP&Aは経営管理であり、CEOが担うべきものです。経営者として最終的にはCEOに就きたいと思っていましたが、そのステップとして、CEOのビジネスパートナーのCFOとして経営に関与したいと思うようになったのです。インテルに入社して、CFOを目指すFP&Aプロフェッショナルとしてのキャリアへの思いを再認識しました。
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石橋 善一郎 氏

【後編】FP&Aプロフェッショナルが目指したCFOへのキャリア。そして、その先に見えた自身の役割とは

日本トイザらスでの楽しさと苦しさ 「次も再生ファンドの投資先であるトイザらスに転職されます。なぜあえて大変な会社を選んだのですか。」 D&Mが東証一部に上場したときに、これから5年間ここで同じことをするべきだろうか、と考えました。そんな時、別のPEファンドから、「日本トイザらスって知っていますか? 2年連続赤字ですが、事業再生したいのでCFOとして入社しませんか」という電話があったのです。そこで、私の希望を伝えました。1つ目は、単なるCFOではなく、副社長として入ること、もう1つは、副社長CFOで成功できた暁には社長にしてもらえること。この2つに対して米国本社社長と面談をした際に了承を得たので、転職を決断しました。CFOがやるべきことはCEOの真のビジネスパートナーとして経営することです。でも、本当にしたかったのは、CEOとして経営することでした。ですから、CEOになれる可能性があるCFOのポジションに着きたいと思っていたのです。 「日本トイザらスではどのような経験をされましたか。」 日本トイザらスには、代表取締役副社長兼CFOとして入社し、CEOの信任を得て従来のCFOを超えた役割を担うことができました。店舗運営や店舗開発、サプライチェーンや物流やEコマースを担当しました。事業会社ならではの本当に楽しい経験でした。日本トイザらスは全国に160店ほどあるのですが、入社した3年間で全店舗を訪問しました。北海道や九州などへは、休みの日に自費で店舗を訪問し、店長さんと話をしました。また、日本にある2つの大きな物流センターでは、生産性を上げるためのプロジェクトの一員になって、繁忙期であるクリスマスの乗り越え方を考えたり、実際にクリスマスに応援として出荷作業に従事したりもしました。他にも、実店舗だけでは売り上げが下がっていくので、オンラインストアが必要だと考え、電子商取引のためのオンラインシステムの開発のプロジェクトのリーダーになって、ゼロから日本でシステムを開発しました。こういったことが、事業管理に携わることの本分だと思っています。 私のCFOのスタイルは、CFOとして事業部長のビジネスパートナーになることでした。事業部長は、店舗運営の専門家、物流業務の専門家、電子商取引の専門家です。彼らとチームになって、日本トイザらスのために新しいことをどうやっていくかを考える。それが私にとってはCFOの仕事であって、事業会社における仕事の1番楽しいことでした。 一方で、難しかったことは、CFOとしての守りの役割とビジネスパートナーとしての攻めの役割をどのように両立させるかということでした。例えば、店舗開発戦略や物流戦略やEC戦略を実行するための投資を行う際に、日本子会社の代表として米国本社に投資案を提案する立場にあったのと同時に、CFO組織の一員として投資案を審査する立場にありました。CFOは企業価値を守る責任を有している一方で、CEOのビジネスパートナーとして企業価値を成長させる責任を有しています。2つの役割を持っているわけです。 「CFOの場合、CEOとの関係で一番注意しなければならない点は何でしょう。」 CFOにとって、CEOは最も大事なビジネスパートナーです。CEOの成功は自分の成功につながります。しかし、一口にCEOといっても様々な人間がいます。仮に、CEOと衝突してクビになったとしても、転職できるようにプロフェッショナルとしての専門性を磨き続ける必要があると思います。日本トイザらスで10年間働き続けられたのは、CEOとの関係が良かったからです。カナダ人の女性で、人格・識見ともに立派なCEOでした。彼女と一緒に仕事をすることで小売業を1から10まで勉強させてもらうことができました。CEOとの信頼関係を築くために、2つのことを心がけました。 1つ目は、客観的な視点で事実を基に議論することです。CFOが得意なのは、数字から経営戦略についての話をすることです。物流、営業、サプライチェーン、業務部門などの部分で、数字で戦略実行のサポートするところは非常に大事だと思います。CEOにできないことをフォローすることが大切ですね。もう1つは、CEOとビジネスパートナーとして共通の目標を設定し、結果を出すことです。チームとしていかに目標を設定して、その目標に向かってPDCAサイクルを回すか。損益計算書の目標管理も大事ですが、それだけではありません。チームとして業務上オペレーションの目標も設定して、それを達成できるかどうかまで見る。例えば、人員計画もそうですし、各部門の配置人数、何カ月後にはどうなるかというところまで、全部CFOとしての視点が重要だと思います。この面でCFOを支援するのがFP&A組織なのです。 CFOの役割と魅力 「一言でCFOの役割を教えてください。」 CFOの役割は中長期的に企業価値を上げることです。企業価値は事業価値の総和です。事業価値とは、事業部が生み出すキャッシュフローの現在価値です。これは、企業財務では、本質的価値と呼ばれています。CFOが本当に目指すのは、事業部が生み出す事業価値の本質的価値を中長期的に最大化することです。株主価値とその市場価値の最大化ではありません。企業価値をどうやって上げるかがCFOの役割の根幹にあります。 「では、CFOの魅力はなんでしょうか。」 1つ目は、プロフェッショナル(Professional)として自分の経験や学習から蓄積した後天的な才能を活かすことができることです。私はCFOが日本企業におけるCFOのように、ある日突然、会社の都合でなるものだとは考えません。それは実務家(Practitioner)です。CFOはFP&Aプロフェッショナルがキャリアを通じて目指すものだと考えています。私はFP&Aプロフェッショナルとしてのキャリアの途中で、資格試験やMBA取得の過程で学び続けることの重要性を実感しました。CFOを目指すキャリアは、プロフェッショナルとして学び続けるキャリアなのです。 もう1つは、3つのC、CEO+CFO+CHROの一つである経営チームの一員であるということです。「人的資本経営」の伊藤邦雄先生のレポートには、CEO、CFOと並んで大事な3番目の役割がCHROだと示されています。他にもCがつく役職がありますが、CEOとCFOとCHROの3つのトライアングルが経営者チームの根幹です。CFOは経営者チームの一員であるということが、CFOの魅力だと思います。人的資本経営の本質は、3つのCのトライアングルで経営戦略と人材戦略を形成・実行することによって、中長期的に企業価値を成長させることです。株主価値とその市場価値の最大化を目的としてCFOが投資家と対話することは、人的資本経営の本質ではありません。