COLUMNコラム

#取締役の記事一覧

#取締役
川島 崇 氏

″いろいろ″あるから経営は面白い。修羅場でこそ問われる「CFOの信念と覚悟」

監査法人で求められたのは期待以上の成果 「公認会計士を目指したのはいつ頃からですか。また、それはなぜですか。」 高校3年生の浪人が決まったときです。遊んでばかりだったくせに、なぜか受験失敗は完全に想定外でした(笑)。しかも友人達はちゃっかり現役合格。これはマズいことになったと思いましたね。ただ、この挫折は真剣に人生設計を考える機会となりました。当時はバブルが崩壊した頃で、「将来ビジネスの世界で経営者として挑戦と貢献ができればいいな」程度の漠然とした考えが浮かんでいました。そして情報収集のため書店で資格の本をペラペラ立ち読みしていると、まず弁護士が目に入ったわけです。当時の司法試験合格率は3%…さすがに厳しそうだと思いましたね。次に目に付いたのは聞いたこともない資格、公認会計士でした。なんと合格率6%、司法試験の倍です!直感的にイケると思いましたね。実はこれが公認会計士との運命の出会いです(笑)。そして色々調べると、公認会計士資格はビジネスに役立ちそうだとわかり、真剣に目指すことにしました。大学合格後は、ダブルスクールとアルバイトに勤しみながら、卒業後に合格しました。もしこの年不合格だったらバイト先の店長になる予定でしたので、運が良かったと思います(笑)。 「入所して10年間勤めた監査法人では、主にどのような仕事をされていましたか。また、記憶に残っているエピソードがあれば教えてください。」 メインは監査業務ですが、デューデリやM&A、株価評価、IPO支援、内部統制、企業再生などのコンサル業務も数多く担当しました。当時は、監査法人の独立性が厳しく問われる環境ではなかったので、クライアントの懐に入り込むような仕事が多かったですね。個人的に通常の監査業務より、コンサル業務の方が提案にクリエイティブ性が求められ、クライアントの成長に貢献している実感があって好きでした。 印象に残っているのは、東証一部のグローバルクライアントに対し、内部統制リスクを特定して業務改善を提案する仕事です。これはまだJ-SOX法や内部統制監査が存在しない頃の話です。定期的に各支社へ出張し、1年間で1周する流れを繰り返していました。具体的には、初日に営業や製造部門など複数の会社関係者にインタビューし、裏付け資料を調査します。2日目は詳細を詰めて、課題提起と改善行動計画を報告書に取りまとめ、夕方には支社長へプレゼンします。改善行動計画はフォローアップのため、実効性があり行動を促す内容が要求されます。しかも私の上司は全くレビューをしない派でしたので(笑)、私の作成した報告書はそのまま取締役会へ提出されるわけです。そのため事実誤認や不明瞭な記述は許されませんでしたし、何より前回と同じような指摘内容では価値がないわけです。 タイトなスケジュールで期待以上の成果を要求される、プレッシャーのかかる業務でしたが、「営業から会計に至る会社業務の仕組みや組織の論理」を深く理解できたことや「仮説思考で計画を立て、効率的に有用な情報を引き出し、改善行動へのコミットを得る」といった力が鍛えられたと思います。入社1年目からこのような業務に関われたのは大変ラッキーでした。 まさかのベンチャーへの転職、「気が狂ったのか?」 「監査法人で得たスキルは事業会社のCFOとしても役に立っていますか。」 監査では、クライアントの外部環境、様々な制約条件や変動要因を複合的に捉え、多面的に分析した上でリスクを特定し、計画を立てチームを動かして効率的に業務を進めることが要求されます。こういったスキルは、事業会社でもデータの裏付けを持って、企業の現状を客観的に把握・分析することや、将来予測や課題解決に取り組む際には大いに役立ちましたね。 また、実は監査法人時代に中小企業診断士資格を取得しています。財務や会計領域はスペシャリストとして知識や経験を深掘りできましたが、企業経営という広い視野を持つには、ビジネス全領域に渡るゼネラリスト的な知識が必要と考えたからです。診断士試験では財務会計領域以外に、経営戦略、マーケティング、生産管理、情報システム、人的資源管理、経営法務、新規事業開発、助言理論などを体系的に学ぶことができました。ベンチャーのCFOはあらゆる事業領域に首を突っ込まざるを得なくなるわけですが、知識があるとないとでは問題解決への入りが異なりますので、とても価値があったと思います。 「10年間勤務した監査法人を退所してベンチャー企業に入社なさいました。その理由を教えてください。また、そのベンチャー企業はどんな事業をしていたのですか。」 当時は「失われた15年」の頃でした。私は日本経済には新しいビジネスの誕生が必要だと思い、ベンチャー企業でイノベーションを起こすことに貢献したいと考えるようになりました。その中でも、日本発の強みを持ち、海外へ事業展開できる会社を転職先に探していました。そして入社を決めたのは、日本が得意とするIP(知的財産権)の企画制作、そしてそれらをクロスメディア・クロスボーダーでプロデュースするベンチャー企業です。ただ、当時は今と違って監査法人からベンチャー企業へ飛び込むなんて異例中の異例でしたので、「気が狂ったのか?」と上司から多くの反対と引き留めをして頂きました。至極真っ当な意見で「ごもっともです」としか言えないのですが(笑)、何度もお話をして最後は気持ちよく送り出して頂きました。 実は、私にはベンチャーへの挑戦に理屈じゃない、こだわりがあったのです。それは監査人としてベンチャー企業と関わる中で生まれました。私はIPO支援をしながら、同い年位の方が責任あるポジションで、周囲を引っ張り、正解のない世界で頭を悩ませながら取り組んでいく姿をずっと見ていました。そして上場した時、彼らがまるで高校球児が甲子園で優勝したかのように狂喜乱舞している姿を見て、素直に羨ましいなと思いました。「何歳になっても熱狂できる仕事に携わっていたい。それにはアドバイザーでは足りない、プレイヤーになるしかない!」と考えていたのです。 転職1ヶ月、リーマン・ショックでいきなりの倒産危機 「2008年の入社だとリーマン・ショックの時期と重なります。影響はありませんでしたか。」 はい、転職1ヶ月後にまさかのリーマン・ショックです(笑)。当社は事業が軌道に乗り、勝負のアクセルをまさに踏んだタイミングでした。しかしそれが完全に裏目となって、極めて深刻なダメージを受けました。資金の急激な流出が止まらなくなり、数か月後に資金ショートで倒産することが、明らかな状況に陥ったのです!組織内に動揺が走り、幹部をはじめ役職員がどんどん逃げ出し、雰囲気も悪くなって組織体制はボロボロに。辞めた幹部の競合企業立ち上げや、風評被害も起こりビジネス環境は極めて悪化しました。 私の転職当時に予定していた上場準備の開始は完全にストップ。私は入社1か月で企業再生に集中することになったのです!資金ショートまでのカウントダウンは始まっていましたので、私はすぐさま経営改善計画を作成して、社長に提案し実行に移しました。それまでの営業や開発は社長の経験や感覚に頼っていた面が大きかったのですが、財務分析を裏付けにセールスミックス再編やコスト構造改革を推し進め、1円でも多く利益を出し、1日でも支払いを先延ばしするように動きました。また、多くの金融機関に融資の相談をしましたが、定期預金の解約すらも拒否されるなど全て断られました。ただその後も諦めずに何行も粘り強く交渉して、何とか融資を受けることができました。 これらの取り組みで延命ができ、決算期を越えられる見通しが立ちましたが、着地見込みは債務超過。このままでは金融機関との交渉がさらにハードになることが想定されます。そこで私は自己資金を投じて資本増強。これでなんとか債務超過を回避することができました。またこの時期に資本政策の組み直しも行いました。通常、資本政策は不可逆性がありますが、既存株主達が譲渡に極めて前向き姿勢の環境でしたので、ある意味チャンスだったんです。私は交渉役として取りまとめましたが、対立して辞めた元幹部の既存株主には、また違った気を使いましたね(笑)。
#取締役
株式会社イントラスト
取締役執行役員 太田 博之 氏

数字で判断・表現し、社長と共に会社を大きくできるCFOの魅力

CFOの道に繋がった監査法人での経験 「公認会計士を目指したのはいつ頃からですか。また、目指した理由も教えてください。」 私は、高校時代に全く勉強しなかったので、一浪し、千葉大学法政経学部経済学科に入学しました。予備校に合格の挨拶に行ったときに、たまたま見た雑誌に「学部ごとの目指すキャリア」についての特集が掲載されていました。そこに「経済学科の人は公認会計士」と打ち出されていて、そこで会計士という仕事を知ったのです。当時は、目標を立てて勉強し大学に合格できたことへの達成感を覚えていたので、大学入学後も目標に向かって頑張ってみようと思いました。ただ、私は怠け者なので、実際の勉強は大学4年生から始め、卒業の2年後に合格しました。 「入所した監査法人では主にどのような仕事をしましたか。また、監査業務などで記憶に残っているエピソードはありますか。」 私は、当時の中央青山監査法人(みすず監査法人に名称変更後、解散)に入所し、上場会社の監査をメインに担当しました。製造業を担当することが多かったのですが、労働組合やファンド、公益財団法人の監査もしました。年次が上がるにつれて、上場準備会社も2社担当し、うち1社はマザーズに上場しました。また、日経から出版された『会計用語辞典』の編集もさせてもらうなど、いろいろな経験をすることができました。 1年目は、1日しか行かない会社も含めると100社くらいのクライアントを回りました。監査以外で、そこまでさまざまな業種、職種の方と話す機会はなかなかないですよね。出張に行くと、クライアントと監査法人のパートナーや上司と会食に行く機会が多く、お酒を飲みながら、クライアント企業の歴史、事業内容や業務フローなど細かくヒアリングさせていただいたことが記憶に残っています。振り返ると、どの業種にも共通するような根本的な話を聞かせてもらっていたと思います。貴重な経験でした。 「監査法人での監査や経営者と話をした経験が現在のCFOの道に繋がっていますか?」 確実に繋がっています。監査法人は、外部の立場ではあるものの、会社の数値を客観的に見ます。これは現在の業務に生きています。また、監査法人はマルチタスクです。小さい会社も含めると最高で11社を並行して担当しました。それぞれ予期せぬタイミングでトラブルが勃発し、それらに対応した経験は今に生きていると思います。ハードワークでしたが、20代でその経験をしていなければ、今この生活はできていないでしょう。 「CFOという職業を意識したのはいつ頃からですか。また、なぜ意識するようになったのでしょう。」 最初は「事業会社で、事業を経験してみたい」という漠然とした思いからスタートしました。監査は大事な仕事ですが、会社が担っている活動を一歩引いて外から見るので、事業そのもののプレーヤーではありません。CFOという職業を意識したのは20代後半くらいでしょうか。明確に「CFOになりたい」という思いがあったわけではありませんが、私が事業会社に価値を提供して、活躍できる場と考えると、ぼんやりとCFOへの道が見えたのです。 やりきって退職後、転職先を探す 「7年間勤務した監査法人を退職するきっかけや理由を教えてください。」 「事業会社に行きたい」という思いがあっても、仕事を抱えていたため、なかなか踏ん切りがつかない日々を送っていました。監査法人を退職する直接のきっかけは、勤めていたみすず監査法人が自主廃業したことです。そのタイミングで先輩や同期は、他の監査法人に転職したのですが、私は事業会社に勤務するという選択をしました。限界まで働くタイプなので、監査法人が廃業する最後の日まで働き、やりきった思いもありました。また、ちょうどそのタイミングで結婚したので、数ヶ月休んでから、転職先を探し始めました。 「転職に対するポリシーはありますか。これまで2度の転職をされていますが、いずれの場合も、退職前に次の転職先を決めていません。これにはどのような思いがあるのでしょう。」 私は、かなりハードに目の前にある仕事に向き合うタイプなので、次の転職を考えている余裕がないというのが正直なところです。転職先を決めてから退職するのではなく、今の仕事をやりきってから辞める。退職してから一旦リセットするといった意味合いが強いかもしれません。私にとっては、そのリセット期間が何年かおきの夏休みという感覚です。なかなか人生で夏休みを取れる機会はないですからね。1回目の転職の前は4ヶ月ほど休みましたが、2回目は子どもがいたので貯金の減りも早く1ヶ月だけ休みました。それでもリセットができて良かったです。ただ、このやり方が正解だとは思っていませんし、リスクもあるので他の方にはお勧めできません。 7年かけてシンガポール市場に上場 「1回目の転職先は事業会社でした。その理由とその会社の事業内容を教えてください。」 私が入社した会社はホールディングスで、7〜8社の子会社の管理をしていました。上場を目指しているものの1社では規模的に上場できないという会社が7〜8社集まってできあがったという経緯のある会社でした。子会社同士に事業上のシナジーがそこまであるわけではなく、それぞれに社長やオーナーがいるため、同じ方向を向くのはなかなか難しかったです。 「シンガポールのカタリスト市場に上場しますが、そこに至るまで7年を要しています。その間の苦労話と最終的に上場できた要因を教えてください。」 最初は、国内の上場を目指していたのですが、業績そのものが上場基準に足りていないところに、リーマンショックがきて一旦ストップになりました。Iの部まで作り、審査に入るくらいのタイミングでした。その後、東日本大震災も発生しました。再度、上場を目指そうとした頃に、ダイナムが香港証券取引所に上場した例があり、他国の市場に上場するという選択肢が見えてきました。当時は、監査法人を経由して、様々な証券会社が日本企業の誘致を図っていたのです。 最初は、韓国のコスダックを目指しました。韓国のPwCの現地事務所から日本語が話せる方に来てもらい監査を受けました。しかし、最終的には基準を満たしませんでした。そして、シンガポールのカタリスト市場を目指すことにしたのです。カタリストは証券会社がOKを出せば上場できる市場でした。準備は大変で、日本の基準をIFRSに変更して、英語で求められる資料を作りました。当時の私は経理部長の立場だったので、英語が堪能なCFOと一緒に作成しました。
#取締役
tripla株式会社
取締役CFO 岡 義人 氏

先を予測し、挑戦し続けたすべての経験が現在のCFOの道を作った

俯瞰してビジネスを見たいという思いが芽生えた監査法人時代 「会計士を目指したきっかけを教えてください。」 不安定な時代になっていく中で手に職をつけたいという思いがあり、大学合格後に弁護士か会計士を目指すことを考えました。ロースクールにかける時間とお金はなかったこと、早く社会に出たいと思っていたこと、法律より経済のほうが面白そうだと思ったことなどから、会計士を目指そうと決めたのが大学2年生のときです。理工学部で2年間過ごした後、試験を受けて経済学部に転部しました。その後、大学4年生のときに会計士試験に合格し、大学卒業直前の3月から監査法人トーマツで働き始めました。監査法人のリクルーターの方と接する中で、トーマツが最も厳しく育ててくれそうだと思ったからです。 「トーマツでは主にどのような仕事を担当していましたか。」 国内の監査部門に所属し、2年ほど大手総合商社を担当しました。大手総合商社の監査チームは、常時30名程度、システム監査も含めると40名程度の会計士が在籍するほどの大所帯であり、新人での配属であったため、自分は全体から見ると僅か一部しか把握することができませんでした(もちろん自分の力不足ということもあり)。それがもどかしく感じ、3年目には希望を出して、相対的に規模が小さめの上場企業を2社にアサインして頂きました。切り取られた一部分ではなく、俯瞰して会社のビジネスや組織全体を把握したいという思いを強く持つようになったのですが、それは、この社会人成り立て当初の経験が大きいように思います。 「トーマツを5年で退職されていますが、その理由を教えてください。」 会計士の資格と監査法人の経験はあくまで武器の1つと考えていたため、大学生の時から、20代のうちに転職しようという思いはありました。じゃあ次に何をするのかということは定まっておらず迷える子羊な感じでしたが(笑)。何年やったら転職というわけではなく、監査法人で、2つの目標を達成できたら転職しようと思っていました。1つは、ひと通り勘定科目を実務的に回せるようになること。もう1つは、抽象的ですが自分の仕事に納得感を持てるようになること。4年半程過ぎた頃に遅まきながらようやく自分の仕事に納得感は出始めそろそろかなと思い転職を決意しました。残りの半年は転職活動をしながら、比較的のんびり過ごしました(笑)トーマツは、クライアントファーストを掲げており、ハードでしたし、心身ともに鍛えられました。自分の社会人としての基礎を作ってもらったと思っています。 スキルの幅を拡げた事業会社の経営企画時代 「監査法人退職後、ソフトバンクに転職されたのですね。なぜソフトバンクを選ばれたのでしょうか。その時のソフトバンクの状況も教えてください。」 当時は、戦略コンサルか事業会社の経営企画のどちらかで迷いました。ファーム(監査法人)で働いていたので、事業会社で働くということを、身をもって経験したいという思いもあり、事業会社の経営企画に絞って探すこととしました。業種にはあまりこだわりはなかったのですが、様々な事業をスピーディに展開している会社の方が早く成長できるのではないかと考えると自然とIT企業を受ける形となりました。ソフトバンクともう1社に絞り、後は社風と面接された方(自分の上司になる方)で選びました。当時のソフトバンクはアメリカの通信大手スプリントを買収した直後で海外に勢いよく出て行くパワーを感じ、iPhoneブームの時代でもあったので、今後伸びていく産業や会社に身を置きたいという思いもありました。 職種は経営企画で、在籍期間中で多くの経験をさせて頂きました。約4年間在籍しましたが、最初の2年間の主な業務は予算策定や管理、各プロジェクトでは財務担当として収支計画やPL等を作りました。小さなものでは法人向け料金プランの検討から大きなものでは電波関連の数千億レベルまで規模は様々ですが、小さなものを含めると千本は作ったのではないかと思い、足腰を鍛えられました。また、検討中のプロジェクトについては、複数のシナリオを作り、実行するのか否か、するとしたらどのタイミングが良いのか等経営判断に役立てるためのシミュレーションも常時行っていました。予算管理では、私が担当するまで予算の精度が粗く、予実差がかなり出ていましたが、細分化して、連動するKPIを見直すことにより予測制度は相当改善させることができました。この精度改善や同時平行で進めていた社内の業務改善プロジェクトについてはしっかりご評価頂いたと思っています。 私がソフトバンク3年目の頃から、子会社の設立が増え始め、小規模ですが1社の管理部長を任されることになりました。また、ベンチャー企業への投資を行ったり、逆に社内ベンチャーへ出向して資金調達したり、法務も担当する等、3年目から業務の幅が一気に拡がりましたね。自動運転関連の事業を担当していた時は、事業部の人達といっしょに沖縄に出張へ行き、道路に出て交通整理や車の誘導等もしました。業務で交通整理やった会計士ってかなりレアではないかと思います(笑) 「異なる職種にいくことに戸惑いはありませんでしたか?」 転職直後は何をしているのかよくわからない状態が続きました。会社自体がとても目まぐるしく動く組織であり、経営企画は特にそうでした。入社当初は様々な企画が走っており、Y!モバイルの立ち上げ、スマホシフトに伴う料金プランの抜本的な変更、ペッパーのローンチ等がありました。部門全員が忙しく、教えてもらう時間を取れないため、師匠になりそうな方を探してついて回り、がむしゃらに覚えていきました。監査法人の仕事と事業会社の経営企画での仕事は、似て非なるものです。「レビューするvs自分で作成する」、「過去実績を扱うvs将来計画を扱う」、「財務会計vs管理会計」等の違いがあり、両者は全く異なります。 だた、プロフェッショナルとしての意識や責任感については、どちらにも通ずるものがあったと思います。ここで、所属していた時期がよかったというのもあるのかもしれませんが、手を挙げればさまざまな仕事を次々にやらせてもらうことができたことは非常に良い経験になりました。また、孫さんが「脳みそがちぎれるほど考えよ」と言っており、徹底して考え抜く風土が当時の組織にはありました。1つ1つの判断についてロジカルに思考して答えを出して行く徹底した姿勢は、ソフトバンク卒業後も役に立ちました。